1993年度よりスタ−トしたコミュニティア−トは「音楽、芸術
」を通してコミュニティ醸成を図り、文化性豊かで人間的なふれあいのある魅力ある地域づくりを推進するためにという最大公約数的な表層からの出発でした。このことは、事業開催が10万円ながらも公的資金を基本運営資金とせざるを得ないことであり、形態としても自己の発表の場を実行委員会というなかで用意するという形式でしかありませんでした。
1994年度においては、地域において認知度を上げるために、開催日を8月の後半に設定し、「芸術と音楽の祭典」というイベント性の高い形式を選択しました。
前年度と同じく2日間の開催でしたが、20万の運営費用のなかで20名以上のクラフト作家、地域の音楽家、共同作業所、ジャズバンド等、出展作品や音楽発表等に企業、商店、個人が直接に賞を授与するというコミュニティ賞を設置するなど構想及び企画という手段において相当な無理のなかで開催いたしました。
このことで資金不足、援助者の不足、実行委員体制の不備をさらけ出し、頼み込んで無理を聞いていただいた方々に、目指していたことを実際に「かたち」として出して行かなければ、地域の接点からも、今後継続し
ていくことが困難となりました。
1995年度は、9月17日〜24日と開催期間を1週間として、15名の招待作家による野外造形展と子供による地球環境コミュニティスク−ルを新たに設けました。そこで、初めて「コミュニティ」「地域」の意味そのものを問い始める端緒に
立つことができました。
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そして、予算的にも60万円の公的資金と民間企業協賛を加え100万という最低限度ながら、通年活動への足がかりがつかめたのです。
地域(生き方としての在り方そのもの)という素材を工芸・音楽・演劇・芸術という「かたち」で表現していこうという極めて根元的なことから、1996年コミュニティアートを思考することに行き着くわけです。
実行委員会は、これらを手にすることで「イベント」という言葉と発想を超え、芸術・音楽を通して魅力ある地域づくりという表現形態をも昇華しました。1996年度コミュニティアートを開催するにあたり、40社以上の企業や市・県の諸機関から300万円近くの運営資金をいただくことができました。「受ける」という体制がとれるようになったのです。「人」「風」「光」「水」それらへの「かかわり」を求めるため、あくまでもコミュニティアートであろうとする野外造形展、および工業的ダンボールを主材に「まち」そのものを客観視しようとする「まち創作ワークショップ」。受け取る「もの」受け渡す「もの」それを成立させる「地域」と「関係」を問い直すという市内企画ギャラリィで展開する『発信する「場」と「かたち」展』。「おかあちゃんも一人の人間や!今を思う存分生きよう」……《生命》そのものに声を出して叫ぶ市民演劇「そら飛ぶウサギ」等を新たに企画しました。
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