地域通貨に関する研究論文


本研究論文は、おうみ委員会スタッフの山口洋典氏によるもので、本人の承諾を得て公開しています。 (図表などの参考資料は省略)

転載などの際は、おうみ委員会へご連絡ください。



【目次】

第1章 序論


1.1 研究の背景
1.2 既往研究の整理
1.3 研究の目的


第2章 研究の方法と研究対象地

2.1 研究の方法
2.2 研究対象地


第3章 民間非営利活動および市民活動に関する整理

3.1 市民活動と民間非営利活動の関係性と本研究における市民活動の定義
3.2 民間非営利活動の歴史
3.3 民間非営利活動の類型
3.4 民間非営利活動の発生要因
3.5 民間非営利活動支援団体に関する整理


第4章 地域通貨に関する整理

4.1 地域通貨と国民通貨の相違点と本研究における地域通貨の定義
4.2 地域通貨の歴史
4.3 地域通貨の類型
4.4 地域通貨の発行要因
4.5 地域通貨と民間非営利活動との連関
4.6 民間非営利活動団体支援方策としての地域通貨


第5章 草津コミュニティ支援センターと地域通貨

5.1 草津コミュニティ支援センター設立の経緯と経過
5.2  地域通貨導入に至る経緯
5.3 おうみシステム構築の概要


第6章 「おうみ」システムの効果

6.1 センターにおけるおうみシステム導入の効果
6.2 センター使用団体におけるおうみ利用の効果
6.3 個人登録者及び地域への効果


第7章 まとめ

7.1 結論
7.2 今後の課題







第1章 序論


1.1 研究の背景

 1998年12月1日に施行された「特定非営利活動促進法」によって、民間の非営利活動団体が容易に法人格を取得することが可能となった。法人格の取得という選択肢が民間の非営利活動において与えられたことにより、それらの活動領域をとりまく状況がこの2年で大きく変化した。
 最も大きな変化は、民間非営利活動団体を支援するための民間非営利活動団体が生まれていることである。特定非営利活動促進法でも、法で定める活動の定義として、その分野の中に「前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動」を挙げている。現在、全国に民間非営利活動団体を支援するための民間非営利活動団体、すなわち支援・サポートという名前を掲げた施設および団体・機関が誕生しており、公設/民設・公営・民営・市民営など、多様な形態で活動が展開されている。
 民間の非営利活動の中でも市民活動団体はいわゆる「草の根」の団体として地域に根ざしながら多様な活動を展開してきた。経済企画庁によって1996年に「市民活動基本調査」を行い、続いて1997には「民間非営利活動団体に関する経済分析調査」を行われるなど、経済社会の中での民間非営利活動の位置づけと役割が明確化されつつある。すなわち、地域活性化に資する多様な手段と形態として民間の非営利活動が担い手となっている。とりわけ、阪神淡路大震災からの復興に際して、「市民によるまちづくり」が復興の速度を大きく早めたのは記憶に新しい。そして、1995年はボランティア元年とも呼ばれ、物質的な豊かさではなく心の豊かさを人々が求めるなど、人々の暮らしに対する価値観が大きく変容した。
 地域で草の根活動が展開されている一方、地域経済という観点では長引く不況の影響が深刻である。平成11年度に予算化された政府の緊急雇用対策は主に中高年の非自発的失業者に焦点を当て、雇用・就業機会の増大を目的に取り組まれたものである。対策の対象人員は70万人を上回り、予算歳出規模は5,198億円であった。また、若い親の層の子育てを支援し、老齢福祉年金等の受給者や所得の低い高齢者層の経済的負担を軽減のために、地域経済活性化の方策として地域振興券交付事業が実施された。交付総額が7000億円程度に至ったこの事業は市町村が実施主体となり、15歳以下の児童が属する世帯の世帯主に対して、15歳以下の児童1人につき2万円相当が、そして老齢福祉年金の受給者等1人につき2万円が交付された。とはいえ、地域振興券は単純に税金を不公平かつ不公正に配分しただけであり、個人の消費拡大や経済の活性化にならなかったという世論が残った。
 このように中央政府でも地域に視点を置いた議論が展開される一方で、地域の地域による地域のための政策が積極的に展開されている。近年、とりわけ地方政府では「パートナーシップ」と称した担当部局や政策および企画が目立つ。地方分権に関する議論が深く関連するが、地域をいかにして活性化させるか、が現在大きな課題となっている。
 滋賀県草津市においては「草津コミュニティ支援センター」が公設(草津市設置)市民営(市民による自主管理・運営)による方法で地域における市民活動の支援を行っており、これらの背景と照らし合わせると興味深いことが言える。


1.2 研究の目的

 本研究の目的は、地域活性化のために市民活動拠点施設において地域通貨を発行し、ボランティア活動を評価するシステムを構築することにある。
 地域通貨の導入の理由は、金銭的な評価に変わる新しい評価の手段を導入したいと考えたためである。これまでボランティア活動は経済社会において無償・無料のサービスとしてとらえられていた。加えて、一般には市民活動とも呼ばれているこれらの活動は善意に基づいているものが多い。しかし、地域活動の主体という視点に立てば評価に資するであろうと考えた。
 日本では、1990年代になってNPOという言葉が深く浸透した。アメリカでは市民活動の取り組みは、経済社会の中で企業・行政と並び、一定の領域として認知されている。特定非営利活動促進法が通称でNPO法と呼ばれていることが象徴的に示すように、今後は市民活動が地域経済社会の中で重要な役割を担うと考えた。
 したがって、以下の項目について検証をする。

(1)市民活動支援施設を拠点に地域通貨を発行することに効果はあるか
(2)市民活動拠点施設における地域通貨の導入にあたってどのような段階を経るのが有効か
(3)地域通貨の導入によって新たな地域内コミュニティの創造は可能か


1.3 既往研究の整理

 これまで、とりわけ都市計画分野においては民間の非営利活動を地域活性化の主体ととらえて計画が推進されてはこなかった。ただし、特に阪神淡路大震災以降、民間の非営利活動によって重要な市民主導のまちづくりが推進されることに注目が集まった。(注1-1)
 しかし森野・西岡(1999)や中村ら(1998)、そして西田(1998)など、多くが指摘するのは既存ないし新規の民間非営利活動団体が地域活性化に対する直接の担い手としてとらられたものではなく、計画および構想策定過程におけるパブリックインボルブメント、すなわち「住民参加」の必要性と重要性を導いているものである。
 一方で、長引く不況により衰微する地域経済の活性化のために、諸外国の事例をもとに地域通貨発行の検討が1999年には盛んとなった。(注1-2)とはいえ、加藤(1998)や丸山(1999)など、その議論の大半は地域通貨の中でも「通貨」に主眼を置いたものであり、「地域」に主眼を置いたものは少ない。
 したがって、本研究のように、民間非営利活動と地域通貨の連動によって地域活性化を図るというような研究はこれまでなされていない。その意味でも本研究の独自性が言える。


(注1-1) なお、都市計画分野においては民間の非営利活動は行政による都市計画および地域計画推進の阻害要因とされることが多かった。それは、市民という立場を主張することによって、行政に要求・陳情を行うといった、反体制・反権力の運動体という認識が強かったためである。しかしながら、阪神・淡路大震災においてはそうしたいわゆる民間の非営利活動が都市計画ないし地域計画の担い手となり、同時に行政計画では行き届きにくい対象や現象に対応していった。前述の特定非営利活動促進法の整備によって、今後は行政からの直接の業務委託を請け負う可能性もあり、今後の活躍が期待できる。

(注1-2)長引く不況によって、地域経済の衰微が大きな問題となっている。この打開策として多様な政策が中央政府によって展開されているが、一方で地方分権の議論が行われている。その中で、地域内で循環をする通貨を発行してはどうかという提案が通産省の職員から出ている。詳細は補論1を参照。







第2章 研究の方法と研究対象地



2.1 研究の方法

 本研究はアクションリサーチによって行われた。
 まず、基礎調査として文献調査を中心にして民間非営利活動及び地域通貨について研究した。
 第3章では、民間非営利活動の中でも市民活動に焦点を当てて、日本および諸外国の民間非営利活動を概括するとともに、特に日本の現行制度が抱える問題点を整理する。また、民間非営利活動支援団体に関してはとりわけ日本における支援団体の生成過程と活動の現状をまとめた。
 第4章では、地域通貨に関しては、日本および世界の歴史的な経緯について大要をまとめる中で、地域通貨が果たす地域への役割について整理した。なお、アメリカ・ニューヨーク州イサカ市の「Ithaca HOURS」、大阪府・大阪市の「ボランティア労力銀行」、富山県高岡市の「ドラー」の取り組みについて聞き取り調査も行った。
 第5章では、これらの現状分析をふまえた上で、実際に滋賀県草津市において取り組んだ「市民活動支援施設を拠点にした地域通貨発行」についてまとめた。草津コミュニティ支援センター設立の経緯と地域通貨導入に至る経緯をふまえた上で、通貨発行と管理・運営のシステムをまとめた。
 第6章では、そして、導入によってもたらされた効果を分析した。ここでは利用団体に対するアンケート調査とヒアリング調査も行った。
 そして第7 章では、研究のまとめをすると同時に、今後の課題と可能性を挙げた。
 図2-1に研究のフローチャートを示す。

 
2.2 研究対象地

2.2.1 研究対象地の選定
 本研究の対象地は草津市とした。草津市には市が所有し、(財)草津市コミュニティ事業団に無償貸与をしている「草津コミュニティ支援センター」がある。地域活性化のために、草津コミュニティ支援センターにおいて地域通貨発行をし、ボランティア活動を評価するシステムを構築することの意味を重視し、草津市を選定した。

2.2.2 研究対象地の概要
 草津市は京都の中心部から約20km、大阪の中心部から約55km、名古屋の中心部から約90kmにに位置し、滋賀県では東南部にあたる。市内には中山道と東海度の分岐点である追分道標が存在し、古くは東海道52番目の宿である草津宿本陣を中心にして市街地が形成され、江戸時代には豊かな街道文化が栄えた地である。現在も東海道本線・東海道新幹線・名神高速道路・京滋バイパス・国道一号線が縦走するなど、交通の要衝となっている。
 また、草津市は西に琵琶湖、東に湖南アルプスを構え、また天井川で有名な草津川を擁すなど、特に水辺環境が豊かな地域である。
 産業構造としては、機械工業を中心に県内一の工業力を持ちながら、大根・かぶ・日の菜、メロンなど野菜類の農業が盛んで、琵琶湖岸には漁港も抱えているなど、多様な産業が興っている。
 近年は、JR琵琶湖線の新快速電車に乗車すれば京都に20分、大阪に50分で移動が可能なことから、京阪神地域の通勤・通学圏内としてベッドタウン化が進んでいる。1994年の立命館大学移転もあって人口の一割は学生である。1997年には総人口が10万人を突破し、人口増加率は日本一である。
 都市計画分野の事業としては、JR草津駅東口の駅前整備や草津川改修などが行われている。その中で、1998年には国鉄清算事業団の管理地を高層団地化した折に建造された「草津コミュニティ支援センター」の土地建物が草津市に寄贈された。街道文化センターの設置、「草津市生涯学習推進計画」による「地域協働合校」の取り組み、そして草津コミュニティ支援センターの設置等、地域内で多様な交流がされている。これらの状況を踏まえて、新・旧の交流や町内会・自治会等の地縁団体とテーマ別の市民活動団体との交流がされることにより、今後も草津のまちは多様に変化していくと考えられる。







第3章 民間非営利活動および市民活動に関する整理


3.1 市民活動と民間非営利活動の関係性と本研究における市民活動の定義


 民間非営利活動とは、純利益を運営者に配分しない活動である。すなわち、私的な利益から離れた事業を展開することであり、収益事業を展開してはならないということではない。したがって、何らかの事業展開を行い資金を稼ぐが儲けない活動である。(注3-1)
 また、民間非営利活動をNPO(Non Profit OrganizationまたはNot for Profit Organization)という言葉で表現することが多くなってきたが、そもそもNPOという表現は米国の法人制度及び税務制度を背景にした概念規定であめ、厳密に言えばNPOは米国にのみ存在する組織形態となる。
 しかしながら、NPOに類する民間非営利活動は日本をはじめ先進国諸国だけではなく、多くの国々で存在する。1996年にはジョンズ・ポプキンス大学のレスター・サラモン非営利セクター国際比較プロジェクトにより、米国を基準に世界12各国の調査から、民間非営利活動に関する共通の特性を打ち出した。(注3-2)狭義の民間非営利の活動を(1)正式に組織されていること、(2)民間の組織であること、3)利益配分をしないこと、(4)自己統治していること、(5)自発的であることとし、広義の民間非営利活動の場合はさらに(6)非宗教的であること、(7)非政治的であることを加え、共通の理解として掲げた。
 しかし、本研究では民間の非営利活動が「非営利であること」を重視して研究対象に選定しているわけではなく、社会的な課題に対する解決の主体ととらえて選定している。(注3-3)
 したがって、広く民間非営利活動をとらえるのではなく、民間非営利活動の中でも市民活動と呼ばれる活動に着目をする。逆説的に言えば、民間非営利活動と表現した場合に、自発的に社会的な課題の解決に取り組んでいない活動主体も含まれるためである。
 日本ではじめて体系的に民間の非営利活動についてまとめた報告書である『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』(総合研究開発機構,1994)によると、市民活動とは「民間非営利活動の一部で、その中でも特に多くの市民の自主的な参加と支援によって行われる自立的な公益活動」としている。また、1996年に経済企画庁が行った「市民活動団体基本調査」では、「経済的、自発的に社会的活動を行う、営利を目的としない団体で、公益法人でないもの」としている。(注3-4)
 本研究ではこれらの定義を鑑み、市民活動を「市民による自発的な活動であり、法人格の有無は問わない」ものとする。


3.2 民間非営利活動の歴史

3.2.1 米国における民間非営利活動の歴史と制度
 近年NPOという言葉は日本に深く浸透しつつあるが、NPOは米国の法人制度および税務制度に依存するものである。したがって、米国の民間非営利活動の歴史の大要をまとめる。
 米国は17世紀初頭に国家権力と宗教の支配・束縛から逃れてきた人々がヨーロッパから移り住み、1787年に連邦政府が成立したが、それまでの約170年は市民による自治によって地域が維持されていた。初代大統領のリンカーンの演説「人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」が象徴的に示すように、米国では市民によって地域の施設・設備や意思決定・相互扶助の仕組みが市民の自由を尊重する形で根付いていった。南北戦争以降は、資産家が私財を供出する形で学校や美術館を設立し、また20世紀初頭にはフォード財団やロックフェラー財団などの助成財団が設立されている。
 こうした経過を受けて、1917年の国税法(Revenue Act)によって、個人の寄付に対する所得控除の制度が確立された。1956年には企業にも拡大された。連邦所得税については内国歳入法典(Internal Revenue Code, IRC)で規定されるが、1935年の内国歳入法典で企業寄付に対しても損金算入扱いができることになった。ただし、企業寄付の控除所得は1981年まで5%を限度としていたが、1981年に10%にまで引き上げられた。なお、個人については寄付先に応じて限度額が違う。1991年にはGDPの2%にあたる953億ドルの寄付がなされた。
 法人制度に関しては、米国の場合は法人格の付与と税制優遇が連動しておらず、法人格の付与は州政府が行い、税制優遇の措置は連邦政府によって行われる。(注3-5)免税資格は内国歳入庁(Internal Revenue Service, IRS)が定め、公益的な性格が強い活動主体に対しては、税制優遇に加えて寄付金控除を適用している。公益的な性格が弱い場合には寄付金控除は受けられない。法人格としては一般法人・非営利法人もしくは人格なき社団など、日本の法人制度のように複雑ではないが、税制優遇に関係する分類は多様である。IRSではもっとも優遇措置を受ける団体をIRCの501(c)3で規定しており、日本で言う財団法人・社団法人・学校法人・宗教法人・医療法人などの中でも特に公共の利益をもたらす主体としている。例えば、教会・大学・病院・私的財団などである。(注3-6)それに対して、共益団体は501(c)4などで規定され、日本で言う消費生活協同組合法人・管理組合法人などである。共益とは、団体の構成員の利益のみを目的とするもので、この場合は一般による寄付による利益を受ける者が限られるために、寄付金控除は受けられないという判断である。(注3-7)
 米国で民間非営利活動が促進された背景には、ケネディ政権のもとでの「公民権法」によって人種抗争が激化したことにあるという見方もある。1967年以降は都市の暴動が多発し、危機感を覚えた企業が地域問題の解決に関与したため、地域に根ざした民間非営利活動が盛んであるという指摘がある。1980年代のレーガン政権が脱福祉国家の「小さな政府」を志向したこともあり、現在は教育・福祉分野の比率が高く、企業も寄付を通じて地域とつながっているのが平均的である。レスター・サロモンによれば、全米で約140万の民間非営利団体が存在し、うち約74万団体が公益団体であるという。
 したがって、米国では社会的ニーズを満たすための民間非営利活動が積極的に展開され、同時にアメリカ民主主義の特質である多元主義が反映する要因となっている。


3.2.2 日本の民間非営利活動の歴史
 近代以前には「結」・「講」・「座」といった地域に根ざした民間非営利活動が展開されていた。近代以降の日本の民間非営利活動の歴史を概括すると民法による法人制度の制約を受けながら展開してきたことが言える。現行民法は明治29年(1896年)に交付され、2年後の明治31年(1898年)に施行された。民法では第33条で法人法定主義を定め、第34条で公益法人について規定している。第34条では公益法人を財団法人と社団法人と規定し、「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」としている。ここには2つの問題点があるとされてきた。
 1つは、主務官庁による許可によって設立されるという点である。したがって、公益として掲げた活動目的が国益や特定の官庁の益につながりやすい。また、もう一点は、公益目的ではない民間非営利活動団体については別途特別法を定めなければ設立できないということである。これにより宗教法人法や私立学校法や社会福祉事業法、また消費生活協同組合法などが整備されていった。同時に民法による公益法人の対象となる団体・活動が狭められてきている。
 公益法人に対する法人税は当初から非課税である。ただし、特定の収益事業に対しては1950年より課税対象となった。とはいえ、営利法人と比較すれば10%程度という低い税率となっている。なお、1988年からは一定の範囲で所得税も控除される特定公益増進法人制度が運用されている。
 地域に根ざした活動を行う、いわゆる草の根の民間非営利活動団体も、関係する税法による規定により、制度上は中央政府および地方政府の管理下に置かれることで多様な制約条件が課せられることになった。市民活動という言葉もこうした制約条件下で民間の非営利活動を展開した主体が多くなってきたために生成し浸透していったとも言える。(注3-8)
 地球環境問題や地域福祉活動や国際交流・国際理解に関する活動などが拡がりを見せた1990年代にかけて徐々に普及していった市民活動という言葉は、前述の『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』によって体系的にまとめられた後、1994年3月には「市民活動を支える制度をつくる会」の設立によって、市民活動の社会的な必要性を認めるための制度改革を導く活動が活発化した。そして1995年に阪神淡路大震災における市民の自発的な活動に注目が集まった。新聞等にも頻繁に関連用語が登場する中で、1996年12月には与党3党から「市民活動支援法案」が提出された。国会における法案が審議と絡んで、経済企画庁における1996年の「市民活動団体基本調査」の実施や、1997年4月の「余暇・文化室」から「余暇・市民活動室」への名称変更などから、政府の政策の一環として市民活動が捉えられていたことが言える。審議を受けた「市民活動支援法案」は「特定非営利活動促進法」として民法の特別法という扱いのもと、1998年3月19日に全会一致で成立し、1998年12月1日に施行された。(注3-9 )現在も特定非営利活動促進法の問題点として、当該12分野の活動に限ったことや、米国のように税制優遇・寄付金控除・特別な郵便制度の適用などの条項などを挙げ、衆参両院の附帯決議に謳われた施行後2年以内の見直しに際して大幅な改正を求める声が高い。(注3-10)しかしながら、これまで民法によって市民による自発的な活動が法人格を得ることを規定され、社会的な行動主体として認知をされなかったことを考えると大きな前進であったと言える。(注3-11)


3.3 民間非営利活動の類型

 1996年に経済企画庁によって行われた「市民活動団体基本調査」の結果によると日本には86,000団体が存在する。
 とりわけ日本に限定した中で民間非営利活動を類型化するとすれば、以下のような分類が可能であると考える。今後、数量化III類によってクラスター分析をする場合などに有効であると考える。

 (1)法人格の有無による類型
(a)特定非営利活動法人............. 約1000団体
(b)民法法人.................................財団法人・社団法人など/約12000団体
(c)各種法による法人................. 学校法人・社会福祉法人・宗教法人・消費生活協同組合など
(d)人格なき社団......................... 任意団体
(e)その他....................................特殊法人・公団

 (2)財源および構成人員による類型(注3-12)
(a)外郭団体.................................行政が出資して作られた団体で、公務員に準じた労務形態。
(b)社会福祉協議会..................... 行政が出資して作られた団体で、公務員に準じた労務形態。
(C)市民活動団体........................ 人格なき社団で、個人の自発性に基づいて作られた団体。
(b)その他.....................................その他の法人

 (3)事業の形態および対象による類型
(a)公益活動.................................活動の対象が不特定多数
(b)共益活動................................活動の対象が限定

 (4)活動分野による類型
(a)特定非営利活動..................... 特定非営利活動促進法で定める12分野
(b)その他の活動......................... オンブッド活動・政治活動・選挙活動・宗教活動など

 (5)活動範囲による類型
(a)地域を限定............................. 地域に根ざした事業を展開
(b)地域を限定せず..................... 広域な事業を展開
(c)活動現場を持たない............. 調査研究など現場に出ない事業を展開


3.4 民間非営利活動の発生要因

 ここまで民間非営利活動をとりまく制度について着目しながら歴史を概括してきたが、民間非営利活動は制度が整備されて発生するのではなく、制度が整えられることによって促進されると考えられる。
 米国の場合は、市民による自治が基礎となって国家そのものが形成され、また日本の場合は「結」「講」「座」などの地域に根ざした相互扶助を導く組織および機構があった。しかしながら、市場社会が形成されていくうちに非制度的なものが税務面で制度化されていった。
 とはいえ、現在の民間非営利活動は地縁社会で展開されてきた活動とは性質が異なり、ゆるやかな社会変革の手段と主体になっていると言える。個々の私的な関心や問題意識などを背景にしながら、特に市民によって自発的に社会性と公共性を帯びたサービスが提供されていった。(注3-13)
 これらの活動が積極的に展開されていく中で、民間非営利活動を支援する慈善事業が多様に展開されていった。


3.5 民間非営利活動支援団体に関する整理

3.5.1 民間非営利活動支援団体の必要性
 民間非営利活動が多様に展開していく中で、民間非営利活動団体を支援する活動が生まれていった。支援の必要性の根拠は、とりわけ米国で用いられる「インターメディアリー(intermediary)」としてに集約されている。つまり、社会性・公共性のある活動を展開する民間非営利活動と、個人・企業・政府をつなぐ活動の必要性である。したがって、民間非営利活動のための民間非営利活動として独自事業展開を展開し、間接的支援を行っている。(注3-14)

3.5.2 日本における民間非営利活動支援団体の取り組み
 日本は米国に比べ、民間非営利活動の活動規模も小さく、それらを支援する基盤も脆弱であるが、特に阪神淡路大震災以降は自治体が民間非営利活動の支援に対して積極的に取り組まれ、1996年4月には神奈川県によって「かながわ県民活動サポートセンター」が設立された。自治体による支援だけではなく、続いて11月には民間による「大阪NPO センター」「日本NPOセンター」が設立された。現在、こうした支援団体は全国で30を越えている。(注3-15)
 これらの団体が具体的な支援活動を行う拠点施設は、通常公設公営・公設民営・民設民営のいずれかによって管理・運営されてきたが、1998年5月に日本ではじめての「公設市民営」型の活動拠点が鎌倉市に設置された。「鎌倉市市民活動センター」は「鎌倉市民活動センター」と「大船市民活動センター」の2カ所によって構成され、会議室の設置・印刷機の設置・情報交流コーナーの設置・相談窓口の設置により、市民の活動の支援と拠点となっている。(注3-16)また、滋賀県草津市の「草津コミュニティ支援センター」も同じく公設市民営による活動拠点施設であるが、草津市では利用者による自主管理方式を採用しているのに対して、鎌倉市ではセンター設置の経緯に関わった委員会の後継組織が運営を担っていることを考えると多少性格は異なる。
 とはいえ、今後は資金調達・組織力の未熟な日本においては、このように公共の施設を市民が自らの能力と実力と発想によって活用していくことが主流になっていくと考えられる。

(注3-1)なお、職員の給料は「純利益を運営者に配分する」とは認識されない。そもそも「非営利」とは「営利ではない」ということであるから、どこまでを「非営利」とするかの判断は難しく、非営利活動を行うからはいえ、質素であるべきだとは言えない。例えば、収益を事業活動に充当する際、物品購入や施設などの折に必要最低限の設備にとどめるとしたとき、どこまでが必要最低限かは個々の組織の判断にゆだねられる。

(注3-2)この国際比較では、仏・独・伊・日・英・米の先進国に加えて、旧共産圏としてハンガリー、また発展途上国としてブラジル・エジプト・ガーナ・インド・タイについて研究されている。

(注3-3)こうした団体が活動する際のこころざしを「ミッション」として表現されることが多い。

(注3-4)なお、『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』(pp46)では、市民活動の判断基準を4つ挙げている。(1)活動・事業内容に、独立性・創造性・非営利性・継続性があること、(2)設立主体が行政機関や業界団体の主導ではないこと、(3)活動拠点が行政機関や業界団体に置かれていないこと、(4)活動経費の内、2分の1以上が自前で確保されていること(行政からの補助金が2分の1を越えないこと)である。

(注3-5)1964年にアメリカ法曹協会は模範非営利法人法(Model Non-profit Corporation Act)を示しているが、法人制度の中で非営利法人を規定するかどうかは各州の判断による。

(注3-6)私的財団はさらに事業型財団と非事業型財団に分かれる。なお、米国では助成財団による助成は主に先駆的・実験的な活動に充てられ、それ以外のNPOは概ね補助金・料金収入・民間寄付金によって運営されている。

(注3-7)501(c)(3)団体は税制優遇と寄付金控除を受けるだけではない。IRSに501(c)(3)団体の適用を申請する際の用紙「Application for Recognition of Exemption Package 1023」によると、以下の5点の特典が得られるとしている。(1)公的な税制優遇資格の付与、(2)寄付者の拠出金に対する税控除による増額の保証、(3)一定の州税の免除、(4)一定の連邦消費税の免除、(5)非営利郵便制度の適用である。また、IRCによる501(c)(3)団体の規定は以下の通りである。「法人、およびコミュニティー基金・基金・財団、もしくはもっぱら宗教・慈善活動・科学・地域安全・文学に関して組織され運営されているもの、あるいは教育目的または全国ないし国際的アマチュアスポーツの促進(ただし施設・器械の供給を伴う活動であってはならない)や、子どもや動物の虐待の防止に関する活動行うもので、その純利益がいかなる特定の株主もしくは個人の恩恵に帰するものではなく、その実質的な活動が布教活動や、それを企てるようなもの、立法府に影響を与えるようなもの(本項(h)によって別段定められるものはこの限りではない)、また(出版や声明の配布も含めて)公職選挙の候補者を擁立(もしくは反対)するような政党の選挙活動に参加あるいは干渉しないもの。」(共に訳は筆者)

(注3-8)山岡によると「市民活動という言葉が公的に用いられたのは、1972年に東京都が社会教育施設として「市民活動資料コーナー」を設置したのが最初と思われる」という。さらに山岡は、「市民活動」と「市民運動」を区別しており、「政府や企業などの外部の権力に対して反対したり要求することを主とする「運動」に対して、自らが社会への働きかけとして独自の実践をすることを「活動」とした」とある。加えて、山岡は「「NPO」は外来の言葉であるが、「市民活動」は内発的なものである。(中略)現在の日本社会で重要なのが市民活動団体としてのNPOである」としている。詳細は『NPO(特に市民活動団体)に関する研究』(pp18)による

(注3-9)法律の制定に拍車をかけたのは1995年の阪神淡路大震災や1996年の日本海重油流失事故であるという論が多いが、『市民活動支援法』(1994)には「それまでも日本の民間非営利活動をとりまく問題点は指摘されていた」と明記されている。また、特定非営利活動促進法は議員立法による成立であったが、法案作成過程では市民活動団体との協議や、市民に公開されたシンポジウムや意見交換が行われていた。また、特定非営利活動促進法は通称でNPO法と言われているがこれは的確ではないと議論が多い。日本新党・新進党の政策スタッフを務め、法案作成に携わった市村によると「「NPO法は私の造語です。(中略)そして現在(中略)「特定非営利活動促進法」(以下、特非法)が、NPOと呼ばれています。しかし、これは適当ではありません。特非法は、特定の非営利活動を主たる目的として行う組織に対して法人格を付与すること等を定めた法律にすぎないのです」としている。

(注3-10)米国のような制度の確立するためには民法や商法や、ひいては憲法の改正にまで至らねばならない可能性を指摘し、特定非営利活動促進法のみの改正にとどまらないため実現は難しいという論がある。

(注3-11)法人格の付与にあたっては、従前のような主務官庁による許認可ではなく、届出制に限りなく近い認証という形態をとっている。認証にあたっては一般による縦覧機関を設け、積極的な情報公開の規定がなされた。そして、法人格申請の所轄庁は事業所の所在地に依存し、2都道府県以上にまたがる場合は経済企画庁に、それ以外は事業所の存在する都道府県に申請する。また、非営利活動を特定している要因は、宗教活動・政治活動・選挙活動を主たる目的とする活動を除外したためである。1999年11月30日現在で、全国1,030団体が法人格を得ている。なお、法人格を比較的安易に取得できることによって、制度化されずに積極的に任意団体として残るという選択をする団体も多い。

(注3-12)山岡(1999 )はこの類型を民間非営利活動の拠点施設の運用主体の類型としている。

(注3-13)下田(1999 )は、民間非営利活動の事業の形態として7つを挙げている。(1)生活者的発想による独創、(2)行政肩代わり、(3)行政サービス代替、(4)行政提携、(5)行政監視・助言、(6)営利企業監視、(7)営利企業提携の7つがそれである。とりわけ米国を中心に民間非営利活動の領域を行政・企業と対比して第三(の)セクター・非営利セクター・市民セクター・社会セクターなどと表現されるが、この分類を見ても、民間非営利活動が行政・企業と、またひいては社会と密接に関係していることがわかる。

(注3-14)日本ネットワーカーズ会議が1995年にまとめた『非営利団体と社会的基盤』によると、支援活動をすることになった背景は、「(1)設立趣旨そのものが支援活動である場合」と「(2)個別課題に対する活動を実際に展開していくうえで、必然的に生じた支援ニーズ応えてきた結果、支援のノウハウが蓄積されてきた場合」の2つのケースに大別できる、としている。

(注3-15)それまでにも、民間非営利活動を支援する団体は存在している。日本においてもっとも古い支援団体は、1965年11月に設立された「社会福祉法人大阪ボランティア協会」であり子ども・子育て・女性・老人福祉・障害者福祉・保健・医療・教育など多様な分野を対象に支援活動を民間によって展開してきた。そして1970年代以降は国際交流・国際協力・障害者福祉・女性・環境・まちづくりといった分野を限定した支援団体が数多く生まれた。

(注3-16)この背景には1996年8月に鎌倉市が第3次総合計画の開始に伴い市民活動部を創設し市民活動支援事業に取り組んだということがある。1996年5月に鎌倉市は「鎌倉市市民活動支援検討委員会(愛称:市民サポート委員会)」を設置し、1996年度の第1次委員会は13回の検討を経て「鎌倉市の市民活動支援のあり方について」の提言を作成した。そして平成9年度は提言に基づいて第二次委員会が「場の支援」「情報の支援」「学習・研修の支援」の3つを具体化の重点目標とし、分科会を設置しながら検討を進めた。なお、第2次委員会は1997年11月に「NPOセンター鎌倉準備会」を発足させ、市役所第二分庁舎にて実質26日間の施設運営実験を行っている。








第4章 地域通貨に関する整理



4.1 地域通貨と国民通貨の相違点と本研究における地域通貨の定義

 カリフォルニア大学バークレー校の調査によると世界で2,000種類以上の地域通貨が発行されているとされている。実際、商店街で発行するクーポン券も地域通貨に含めるかどうかという議論があり、どこまでを地域通貨と言うかというかの判断は難しい。
 地域通貨が国民通貨と異なるのは、あくまで交換の媒体として用いられ、投機の手段や目的にはならないということである。したがって、信用創造はしない。利子がついていかないため、貯蓄しておくことがあまり意味をなさない。逆に負の利子がつくこともある。(注4-1)
 そして、一般に地域通貨と呼ばれている地域内で流通・循環する通貨は、英語表記では4つに分かれる(図4-1)(注4-2)。多様な呼び方の中の共通点は、「用途や目的や地域を限定して流通をさせている」ことである。
 したがって、本研究では「信用と信頼によって担保をされた、自助を促進する媒体として、国内通貨、国民通貨にかわってお互いの財やサービスを交換するもの」を地域通貨とする。


4.2 地域通貨の歴史

4.2.1 近代以降の地域通貨の歴史
 そもそも地域通貨の歴史を振り返れば、1100年代に石貨を貝にかえてそれぞれ相互交換するなどの動きもあったが、近代以降の取り組みを振り返ると、英国・チャネル諸島のガーンジー島で1816年に発行された「State Note」と呼ばれる地域通貨が最も古い取り組みであると言える。これは、ナポレオン戦争によって被害をを受けた島が、利子のつかない紙幣を発行して建物や水路等を島民の労働の対価を払い、島の立て直しを図ったというものである。現在も「State Note」は稼働しており、これで受け取りたい人は、このお金で受け取ることも可能である。
 この次に出てくるのがロバート・オウエンによって、1832年から34年までイギリスのロンドン、バーミンガム等で実践をした労働貨幣の発行である。自ら生産した生産物を労働交換所に持ち込んで財の生産に要した労働時間に等しい「労働証明書」を受け取るというものであった。これは後に評価システムを商人に悪用されたり、あるいは時間と労働の正当なすりあわせを図るために用いたことから逆に不均衡が生じたりし、結局破綻をして取り組みを終えることになった。労働証書によって買い物ができる労働交換所には、比較的少ない時間で人々に必要とされるものと、長い時間で人々に必要とされないものとの均衡が保てず、必要とされないものばかりが残り、この不釣り合いで結局つぶれたものである。(注4-3)。

4.2.2 1930年代を中心とする地域通貨の歴史
 1916年にシルビオ・ゲゼルによる『自然的経済秩序』が発刊され、自由貨幣運動が盛り上がった。そして、1930年代には世界恐慌のあおりを受けて、雇用対策と貨幣不足の解消のために各地で地域通貨が発行された。そこで、ゲゼル理論を取り入れて発行されたのが1932年にオーストリア・ヴェルグルのヴェルグル労働証明書である。これが、またその他ヨーロッパ諸国に展開し、各地に地域通貨が拡がる契機になったとされている。(注4-4)
 ヴェルグル労働証明書は1ヶ月毎にスタンプを貼らなければならない紙幣で、負の利子が付いた貨幣である。これは「お金も経済社会という有機体の中を縫っていく血液である」というゲゼル理論を取り入れたことによる。高い不況の折の失業率が30%から10%、そして完全雇用の状態にまで至った。しかしながら地域通かであるヴェルグル労働証明書が流通・循環し続けることにより、国民通貨のインフレを危惧した政府が1933年に禁止措置を出し、発行と流通は終了した。
 1930年代の取り組みの中で、現在も継続している取り組みが1934年のヴィアである。スイスのチューリッヒで、小規模ビジネスの従事者が16人で始めた独自の通貨制度であり、昔は紙幣を発行していたが、現在は通貨の単位だけが残っている。参加者がカタログによる商品販売を独自の通貨とスイスフランと併用して行っている。

4.2.3 1980年代を中心とする地域通貨の歴史
 その後、地域通貨が再び取り上げられるようになってきたのは1980年代になってからである。ここでは1930年代のように労働に主眼を置くだけでなく、地域のつながりを重視した取り組みがなされた。人々の労働を評価することには変わりはないが、労働者の労働ではなく、一般市民の非貨幣的な労働にも着目したのが1980年代の取り組みである。80年代以降の取り組みは以下の3つに分けることができ、その他の地域通貨もこれらの中から派生して出てきたものと考えることができる。なお、先進国の取り組みに注目が集まるが、メキシコ・タイ・アルゼンチンでも地域通貨が発行されている。

(1)LETS
 LETSは積極的に紙幣を発行せず、相互に通帳を持ち、当事者どうしで決済をする地域通貨の制度である。つまり、貨幣を自らが発行できる制度である。LETSとはLocal Exchange and Trading Systemの略で、日本語では地域経済信託制度、地域経済振興システムと呼ばれている。
 このLETSの取り組みは1983年、マンチェスター出身のマイケル・リントンがカナダのバンクーバー島東岸のコモックス地方で550人から始まった「コモックス・バレー・レッツ・システム」が起源である。これを原型に、各国各地独自の制度で取り組まれ、カナダ、イギリス、オーストラリアを中心にして世界1,600以上の地域に拡がっているとされている。(注4-5)
 LETSには、加入脱退・取引が本人の同意のもとに行なわれるという「同意」の原則、口座残高に対して利子はつかないという「無利子」の原則、運営にかかる事業経費は利用者が利用程度に応じて平等に負担する「共有」の原則、そして参加者の全ての行動には必要な情報が提供されるという4つの原則がある。(注4-6)
 LETSの基本単位はグリーンドルと呼ばれ、その価値は当該地域の単位に準じている。例えばカナダであれば1グリーンドルは1カナダドルに等しい。また、LETSは紙幣を発行せず、個々の参加者が口座を開設するため、相互の決済は事務局によって管理される。(注4-7)参加者は提供できる財・サービスを目録(Directory)に載せ、参加者が相互に見ながら取り引きを行う。(注4-8)また、参加者の口座はゼロから始まるが、口座残高を赤字にすることも可能である。LETSにおける赤字は他の参加者に対して未来の貢献を約束することを意味し、口座保有者は登記人に照会することで、他の口座保有者の口座残高や取引実績について知ることができる。(注4-9)
 LETSは地方政府によって支えられているものもあるが、行政に地域の人たちが依存、あるいは要求をして構築すると言うよりも横の連携によって支えられる部分がある。LETSの中では大規模にあたる約700人の会員を抱えているマンチェスターLETS(英国)は、その地域に合わせた地域の課題をまず発見し、その地域の課題に適したシステムを構築する「レッツゴー・マンチェスター」と題したキャンペーンを展開している。

(2)時間預託制度
 1時間の奉仕を1点とし、会員間相互に点数を交換する制度である。日本を中心とするふれあい切符の取り組みと、アメリカを中心とするタイムダラーの取り組みがある。

(a)ふれあい切符
 時間預託、時間貯蓄、点数貯蓄、労力貯蓄など言われている一連の取り組みに対する「財団法人さわやか福祉財団」による愛称である。現在、「サービス生産協同組合グループたすけあい」や「日本アクティブライフクラブ(NALC:ナルク)」など日本で300を越える団体が取り組んでいる。中でも最も古いものが1973年に始まったボランティア労力銀行の取り組みである。
 ボランティア労力銀行は1950年代に基本的な構想が発案され、新聞協会賞を得た。そして1973年に大阪で取り組みが始まった。ボランティア労力銀行の理念は「労力にインフレはありません。労力を新しい愛の通貨にしましょう。ボランティア労力銀行の利息は友情です」とある。そもそもの発想は有職婦人を相互に支え合う目的で労働を点数化したことにある。当初は通帳を発行していたものの、他人に自分の点数を与えることが困難なことから補完的に労力点カードを発行した。しかし現在は労力点カードに一元化されている。ボランティア労力銀行の1点の価値は1日の食費の3分の1相当としている。これは1時間のボランティアに対して1点を受け取ることから、1日3時間のボランティアをすれば食に困らない生活が担保できるという目的があったためである。1999年末の時点で1点は400円換算で、会員は約1,500人である。ボランティア労力銀行は2人から支部を結成することができ、参加者相互の労力交換については本部事務局が連絡調整を行っている。(注4-10)なお、ボランティア労力銀行は行政・企業からの助成を得ず、すべて会員からの寄付と労力点で会の運営をまかなっている。

(b)タイムダラー
 アメリカ・ワシントンD.Cに本部を置くTime Dollar Instituteによって運用されている。1986年に創始者のエドガー・カーンが1980年に病院暮らしをした折、生活の不便さを実感したため、老人になったときに自分のボランティアをポイント化して還元できる制度を構築できないかということ全米6都市で実験を始めたものである。しかし、実際は隣人どうしのつながりとして拡がっていった。老人・シングルマザー・貧困者・若者・障害者・失業者の再評価をするなかで、子どものケア・移民者の住居サービス・高齢者のための買い物・カウンセリング・その他個々のニーズをタイムダラーの制度ですりあわせを行い、隣人や友人や家族の中では日常行われていることを地域の中の見知らぬ人にも拡げていった。(注4-11)現在、全米38州で約300のコミュニティで運用されており、行政が積極的に取り入れているものも存在する。米国を中心とした取り組みではあるが、日本では1994年からタイムダラーネットワークジャパンとして愛媛で取り組まれている。
 タイムダラーの哲学は、「地域で沈みゆく根(sinking roots)に焦点を当て、社会問題や階層構造を解決すること」であり、女性の労働価値を下げず、ドラッグや銃器には使われない貨幣を発行し流通させることにあるという。タイムダラーの価値は1タイムダラーが1時間の労働に値する。これまでのプログラムで公園の掃除・街灯設置・治安維持などで23万ドルを住民が稼いでいる。(注4-12)
 タイムダラーは政府からの支援・援助および関与を積極的に受け入れず、むしろ「政府は一切タイムダラーを扱わないで欲しい」としている。これは「政府が扱うこと自体に問題はないが、それではグラスルーツのエンパワーメントにつながらない」ためだと言う。
 ふれあい切符が基本的に行政・企業から援助を得ずに行っているのに対して、タイムダラーでは行政からの補助金や企業からの寄付金・物品提供を活用している。

(3)イサカアワー
 1992年11月から取り組まれた紙幣による地域通貨の取り組みである。7年間創始者であるポール・グローバー個人によって運用されてきたが、1998年秋に法人化しIthaca Hours, Inc.という非営利組織によってシステムが運用されている。イサカでは1987年からLETSに取り組んでいたが、著しい経済の衰退により、1988年にその管理をしていたコンピューターセンターが閉鎖した。同時に、LETSの煩雑な作業なしにそれぞれの持っている財やサービスをやりとりできないか検討した上で、紙幣発行による地域通貨の取り組みを始めた。アワーという名前は、人によってつくられる仕事の対価をお金で評価したいという重いが込められており、イサカアワーでは他人が自分に提供してくれる時間を考慮し的確に時間・能力・労力を評価するという意図がある。
 イサカアワーは「柔軟な使われ方(fisical flexibility)」と「経済の循環(economic sirculation)」のための貨幣であり、地域で循環し続けることによって「地域の富(local wealth)」を維持できるとしている。1アワーは10ドル換算で、これは1991年当時のイサカ周辺部(トンプキンス郡)の平均時給が10ドルであったことに依拠している。(注4-13)現在、1HOUR・2HOUR・1/2HOUR・1/4HOUR・1/8HOURの5種類のお札を発行され、それぞれの紙幣の裏には本当の資本は技術や熟練・時間・道具・森・土地・川であり、それらに対して支払われるのがイサカアワーだとしている。1998.12月現在、人口3万人の町で6,700アワーズ(約800万円分)の紙幣が流通をしているが、コーネル大学の大学院生によれば1年間に6回循環しており、結果として2億円の経済効果をもたらした。(注4-14)
 イサカアワーは基本的に登録制をとっている。登録した内容は2ヶ月に一回発行されるニュースレター「アワータウン」に掲載される。(注4-15)リストには不動産・地域の産物・散髪・ガーデニング・レンタルビデオ・病院の診療など多数が掲載されている。参加者は自分ができること、もしくはしてほしいことを掲載料とともに事務局に送らなければならない。40名ほどで始まった取り組みであったが、現在はのべ1500のサービスが登録され、うち400は事業所による登録となっている。
 登録者間のやりとりだけではなく、イサカ市中心部から約20マイルの範囲では国民通貨の代替として使用できる店もある。4つの拠点があり、毎週土・日に55の店が出ている朝市、地域の農産物や無農薬・減農薬食品を主に扱う生協、古本屋、銀行である。古本屋では古い紙幣を新しい紙幣に交換をするなど、国民通貨で言うところの銀行の役割を担っている。また、イサカアワーが使える銀行というのは、日本で言うところの信用組合であり、預金の引き出しやローンの支払いに充てることができる。
 イサカアワーの思想は「Ecology and Social Justice」であり、環境に配慮をした生活をし、そして、社会的な公正さを考えていくことにある。(注4-16)また、ポール・グローバーは『HomeTown Money〜How to Enrich Your Community with Local Currency〜』を作成しており、イサカアワーの紹介ビデオとともに、各地で新規に地域通貨を始めるスターターキットとして販売しており、1999年末の時点で世界67の地域に拡がっている。
 なお、イサカアワーのように独自に紙幣を発行する地域通貨としてカナダで1998年12月に始まったトロントダラーを挙げることができる。イサカアワーと決定的に異なる点は、カナダドルを担保として発行されていることである。使用したい者は払ったカナダドルと等価のトロントダラーを受け取り、地域の中で特定の店で使用する。逆に言えば特定の店でしか使用できないが、イサカアワーと同じく、地域独自で通貨を創り出すことに共感をした人々が使用することにより、1年間で約8万トロントダラーが流通するに至っている。(注4-17)

4.2.2 日本の地域通貨
 日本の貨幣史を振り返ってみると、地域独自の貨幣は江戸時代に登場している。江戸時代は幕府が貨幣発行権を独占し、貨幣様式を統一した。一両(小判1枚)を基準として、小判一枚一両とする計数貨幣としての金貨と、銀1匁=3.75gとする秤量貨幣としての銀貨、そして1枚1文とする計数貨幣としての銭貨が発行された。しかしながら、1600年ごろ、中世以来商業の発達していた伊勢山田地方において伊勢神宮の神職に就く土地の豪商が小額端数の預り証、すなわち手形として釣り銭代わりに「山田羽書(やまだはがき)」と呼ばれる私札を発行した。山田羽書は地域独自の貨幣の先駆けであると同時に、日本で最初の紙幣による貨幣であった。
 その後、江戸時代寛文期(1661〜73)には財政の赤字の補填や幕府の貨幣不足の緩和を目的に藩札が発行された。江戸幕府が突然貨幣を統一したため地域には貨幣が不足し、各藩が幕府鋳造の三貨との兌換を前提として銀札、金札、銭札が発行された。また、慶事用・弔事用・特産品の専売のためなど特殊用途の藩札も発行された。藩札は一旦、宝永4年(1707)〜享保15年(1730)の間、幕府によって発行禁止とされたが、再び財政赤字の補填や幕府貨幣の不足の緩和などを目的に発行されていった。(注4-18)
 とはいえ、これらは幕府が鋳造する通貨との兌換が前提となっており、信用や信頼によって担保された財やサービスを交換する媒体とは言い難い。ただし、ボランティア労力銀行など、「ふれあい切符」の他にも「バーターネット」という実験が行われている。(注4-19)
 1991年、生活クラブ生協神奈川は「バーターネット」と呼ばれる実験を行われた。結果として175人の参加で労働切符を発行してやりとりをした。当時のているパンフレットには「神奈川バーターネットに参加しませんかと、地域の中でお金なしで取引しませんか、身近な働きをみんなで交換し合いませんか、そして、地域を大勢の私たちで支え合うオルタナティブな経済の仕組みを育てませんか」と呼びかけている。生協の組合員の中で物を消費するだけではなく、お互いの労働を交換し合おうというような発想で取り組まれたものである。現在再び生活クラブ生協では東京を中心に同じような取り組みを始めようとしている。


4.3 地域通貨の類型

 以上の取り組みを整理すると、地域通貨は(1)発行単位、(2)流通範囲、(3)決済方法、(4)発行形態・管理形態の4つの基準によって類型化が可能であると考える。


4.4 地域通貨の発行要因

 地域通貨の発行要因は3つに分かれる。この3つが複合した形で地域通貨は発行される。

(1)不況時の失業対策
 そもそも地域通貨は、不況時の失業対策で発行されることが多かった。とりわけ1930年代に地域通貨は多く発行されたが、これは1929年の世界恐慌が背景にある。世界各地で以前は5%程度であった失業率が30%を越えた。そこで、地域内で循環をするような経済体系をつくって足元を固るために、国民通貨を補完するために発行されたという歴史がある。1932年に取り組まれたヴェルグル労働証明書や1991年から取り組まれているイサカアワーがこれに類する。

(2)特定のコミュニティ創造と維持
 地域内でもさらに特定の会員同士で、各人が持つ財や技能、技術、サービスをやりとりし合うための交換媒体として地域通貨が発行されることがある。1832年に理想的社会主義者として、ロバート・オウエンによって取り組まれたのもこれに類し、また1983年からはじまったLETSの取り組みもこれに類する。

(3)シャドウワークの顕在化
 環境・福祉・教育・医療など、地域内で抱える問題に対して相互扶助の制度をつくりあげるための手段として用いられることがある。「特定のコミュニティの創造・維持」とも関わるが、人と人をつなぎ合いながら社会的文化的なに豊かな地域を導くための手段として、個々人が関与する貢献の質と量を評価するという目的として発行される。1973年から取り組まれているボランティア労力銀行をはじめ、時間預託制度の確立がこれに類する。(注4-20)


4.5 地域通貨と民間非営利活動との連関

4.5.1 地域を支える経済的な相互扶助システムとしての講
 江戸時代には私札や藩札のように地域の中では貨幣そのものを発行して地域経済を補完していたが、相互扶助としての「講」と呼ばれる制度もあった。現在も古い農村部などには残るが、結(労力)・講(金)・座(知恵/技術)の中で、仏教とともに導入したと言われている。そもそもは参詣費用の積み立てのためであったが、信仰から離れていった。一般に講の受益者は仲間のみであったが、幕末にかけて共助から公助へと形態は変化していった。こうした変化として取り上げられるものが「五常講」と「秋田感恩講」である。
 「五常講」は二宮尊徳によって作られた「講」であり、共同責任による無利子融資を行っっている。後に明治時代に設立された報徳社、そして信用組合の原型になった講である。「秋田感恩講」は、幕末に飢餓救済のために藩の御用達商人が寄付し、これに武士も賛同したかたちで、藩の公金とは別の経済資本を作ったということである。
 講は運用それ自体が民間の非営利活動であり、深く地域に根ざしていた。「山の神講」は涵養林の保全や木材・薪炭材の自給のための講であり、「田の神講」「地神講」「水神講」は保水や土壌の保全のためのものであり、「海神講」「船霊講」は海岸の浄化などに取り組んだ。こうした目的別の講だけではなく、年齢別の講もあったが、その場合も講員相互によって教育やカウンセリング、技術文化の伝承などが行われていた。(注4-21)

4.5.2 民間非営利活動に対応させている今日的な地域通貨システム
 現在日本では10の地域で地域通貨の発行が検討もしくは実践されている。そしてそれらの導入の目的には、特定非営利活動促進法第二条に定められた12分野のどれかが関連している。つまり、これは地域の課題に対処するための糸口として地域通貨が導入されていることを示し、同時に地域通貨が地域の中で人々のつながり、生活、暮らしを考えていく上で重要な因子となっていることを示している。したがって、地域通貨を循環させることを目的とせず、あくまでも手段として導入することによって、地域通貨が果たす役割はさらに大きくなると考えられる。
 例えば、静岡県庁内に設置されたエコマネー研究会では、環境、福祉/介護、そしてまちづくりという対象別に3種類の地域通貨を発行しようと考えているが、地域通貨は地域活性化や高齢者の生活支援にもつながりやすい。具体的には、「半日外出時に子どもを預かる」「力仕事なら自分に任せて欲しい」など自分自身が可能な些細なことを寄せ集め合うことで、自動的に地域の中で誰かが誰かによって世話がされていく、若い人が年金のお金を払って、高齢者の人がその年金をもらうというようなことではなく、「今」「ここ」にいる「私」ができることと必要としていることとが相互に埋め合わされて、すき間を埋めていくという結果が得られる。また、福祉の分野との相性がいいのは、1973年から取り組まれている「ふれあい切符」の取り組みで証明がされている。
 これは、よくボランティアと言われていた領域である。(注4-22)
 しかし、地域通貨があれば、お金を払う程でないがうれしかったこと、自発的にしてくれるかどうかわからないがお願いしたいことが出てきた場合に「ありがとう」の対価として渡すことができる。つまり、これまでボランティアということで偶発性に依存していた個々の善意や能力を日常化・制度化するということであり、いわゆる民間非営利活動が推進されていくということである。すなわち、地域の中で人と人のつながりが生まれていきながら地域のまとまりや拡がりが出てくるということが言える。
 加えて、1999年5月に新潟で開催された「第3回わくわくワークショップ全国交流会」や1999年11月に開催された「きょうとNPOフォーラム」のように、ごく短期間にわたるイベント中でのみ流通する地域通貨の取り組みもなされている。この場合は、参加者どうしのコミュニケーションを図る目的で導入されており、「ありがとう」の循環を導きながら、地域通貨の使用者どうしの交流が深められることが証明されている。
 したがって、とりわけ民間非営利活動に対応した地域通貨システムは、使用者どうしのコミュニケーションが促進されることによって、多様な問題解決の契機を導く効果があると考えられる。


4.6 民間非営利活動団体支援方策としての地域通貨

 千葉県の「特定非営利活動法人千葉まちづくりサポートセンター」では1999年2月から千葉の名産であるピーナッツを単位に、商店街の活性化を踏まえながら、ボランティアのやりとり、ボランティア活動の相互の交換によってまちづくりをしている。5月段階で100人余りが参加しており、脱失業対策の地域通貨の取り組みとして現在も続いている。いわゆるLETSタイプの地域通貨で、紙幣は発行せず、参加者には通帳が配布されている。事務局がやりとりは管理をするため、通帳に記載された事項は一定量たまった段階で事務局に報告され、事務局によってやりとりが管理される。そもそもこの取り組みは千葉まちづくりサポートセンターが、支援者に原則時給1000Peaの報酬を払ったことによる。特定個人と団体の間でのみ通用させ、事務局が未知の大型債務者を生まないように決済をした当人どうしのサインを必要としている。Peaで購入できるのは講演会の参加費や団体の刊行物の対価の一部で、1999年8月までに7万Peaを発行し、20,000Peaが利用されている。
 また、当初は商店街のポイントカードであったものを民間非営利活動へと展開しているものもある。駒ヶ根市の「つれてってカード」に福祉/介護の動きを重ねたり、北千里商店街の「イッポカード」に環境活動を重ねているものがその例である。横須賀市では多目的ICカードを用いて地域通貨の取り組みを広げるための企画が練られている。(注4-23)また、富山県高岡市では導入にあたって中心市街地活性化という視点から路面電車の活用に視点を充て、同時に個人によるサービス登録も進めている。
 これらの取り組みから、地域通貨は、政府による原子力発電所のかわりに、地域で自然エネルギー発電所をつくり、自分でエネルギーを自給しようというような発想に似ていると考える。家をつくるのに、設計図と道具、そして、つくる人が必要なように、思い描いている社会をつくるには、一定の道具が必要となる。したがって、地域通貨は地域の課題を解決する道具の役割を担い、地域通貨を使う人たちが地域に深い関与をし、活動を展開することが必要である。そもそも対価を求めずに何らかの活動をして地域通貨を得た人は、再び第三者に譲渡することで二重の貢献が可能となる。つまり、高齢者や障害者の介護によって地域通貨を稼いだ人が、その稼いだ地域通貨を老人ホームなどに寄付すれば、二重の貢献ができる。
 草津市で取り組んだものは千葉の事例に近いが、異なるのは市民活動の拠点施設でボランティアの評価と施設利用の促進の手段として導入し、間接的に活動の促進を目的としたことにある。
 ここまで文献調査及びヒアリング調査による内容をまとめてきたが、次章からは草津での取り組みについて概括し、効果を検証する。



(注4-1)1930年代には1カ月が経過するとスタンプをつけて有効期限を更新していかないと使えない地域通貨が1930年代には多く取り組まれた。中でも多くの地域のモデルになったのは1932年にオーストリアのヴェルグルで発行されたヴェルグル労働証明書の取り組みである。なお、千葉まちづくりセンターの「Pea」の取り組みにおいても口座残高のうち正の部分については1ヶ月に1%づつ減額するしくみを採用している。この減額分をセンターの事務費に充てている。

(注4-2)「コミュニティ」と「ローカル」の相違について明確に区別することは厳密には難しい。本論文では、コミュニティを一定の主義・主張・思想・共感・関心等を共有した人々によって構成される地域に根ざしたグループとし、ローカルは、人々の生活圏レベルの地理的範囲もしくは行政区としてとらえている。「カレンシー」と「マネー」の違いはさらに難しく、カレンシーは交換の媒体として流通しているもの、マネーは交換の媒介物という性格だけではなく、財産・富を定量化させるものと扱うことにする。

(注4-3)破綻した労働証明書の発行であったが、発行にあたって個々人の労働自体を評価しようという発想はLETSの原型となっている。

(注4-4)アメリカでは400以上の都市で同様の地域通貨が発行された。また、ドイツではデーラーという、石炭と交換ができる通貨が発行された。基本的にこの当時は、いわゆる労働者の労働をどう評価をするかという観点で地域通貨が発行されていた。

(注4-5)加藤(1998)の調査による。

(注4-6)マイケル・リントンは5番目の原則として、国民通貨と同じ価値を持つ内部貨幣単位を使用することを掲げている。これは英国を中心に労働時間を基準としたLETSが展開され始めたためである。したがって、すべてのLETSがこの5番目の原則を踏襲しているとは言えない。

(注4-7)事務局には登記人(Registry)または記録調整者(Recording Coordinator)が置かれる。そして、参加者の口座を開設し、取引を記録し、取引明細書を発送する。登記人は取引額を売手の貸方に黒字として、買い手の借方に赤字として記録をする。事務局には執事(Steward) または受託人(Trustee) も置かれてシステムの中の反社会的な行為を監視し取り締まっている。

(注4-8)参加者には取引実績記入シートが配られ、取引年月日と通貨支払者名(Origin) と口座番号と受取り者名 (Receiver)とその口座番号、そして金額(Amount)を記入する。口座番号は参加時に渡され、コモックス・バレー・レッツシステムではプラスチック・カードが渡されている。参加者は一定期間毎に記載済みシートを登記人にファックスか郵便で送付する。また電話通知も可能である。そして登記人は口座管理用のコンピューターに取り引きを入力し、各参加者の取引高や残高を計算する。この取引高と残高は、参加者に毎月郵送される。西部の『可能なるコミュニズム』に所収の西部による論文に詳しい。

(注4-9)このように事務局が積極的な管理をするLETSだけではなく、「交換リング」と呼ばれる大福帳によってやりとりをするLETSもある。旧東ドイツのハレ市で取り組まれている「デーマーク」がそれである。ちなみにミヒャエル・エンデはこうした取り組みを友愛主義的経済と呼んでいる。

(注4-10)ボランティア労力銀行においてはどんなボランティア活動をしても1点がもらえるわけではなく、特定の活動先でしか点数を得ることはできない。活動先は活動先に所属する誰かが労力点カードを集めるか、もしくは1点600円(1999年末現在)で本部事務局から労力点を購入しなければならない。この活動先が購入しなければならない点を事務局ではα点と呼んでいる。なお、自分が得た労力点は2親等以内であれば譲渡が可能である。また、不要になった労力点は事務局によって現金化をすることができる。

(注4-11)1986年に120万ドルの助成をロバートウッドジョンソン財団より受ける、3年間に6都市で実験(マイアミ・セントルイス・サンフランシスコ・ボストン・ブルックリン・ワシントンD.C)実験した。その結果「人の移動(mobilizing people)と社会的ネットワーク(social network)」が形成されという。シカゴでは学生が子どもたちにリサイクルのパソコンを使って講義をしたり、バージニアでは食べ物に、マイアミでは健康(health service)に、ボルチモアでは公共住宅にといった具合で大学・教会・自警団・州/連邦の社会事業団(social agencies)やNPOが巻き込まれていった。ワシントンD.Cではカーン氏の念願であった合法の診療所で使えるようになった。なお、この項の資料は『IN BUSINESS』によった。

(注4-12)また、社会サービスの範疇にとどめていくタイムダラーの取り組みは、他の地域通貨とは違って税制控除の対象にしたいという思いも持っている。

(注4-13)歯科医・マッサージ師・弁護士等は1時間の労働であっても1アワーではなく、通常通りの代金を数アワーで徴収することが許されている。しかし、最近このような専門的なサービスに対しても徐々にイサカアワーの公正な価格、すなわち1時間あたり1アワーの報酬を受け取る人も増えてきたという。なお、イサカアワーをモデルに取り組まれているカリフォルニア州・バークレー市のブレッドでは、1ブレッドを12ドル換算としている。これはバークレー市周辺部の平均時給が12ドルのためである。

(注4-14)ポール・グローバーの試算によると年間$700,000以上の価値があるという。これは非貨幣部門もイサカアワーによって顕在化・商品化させるためであると考えられる。

(注4-15)『アワータウン』に掲載するには、1アワーもしくは10ドルの掲載料を必要とする。また、専門的な職業については2アワーもしくは20ドルの掲載料をお願いしている。掲載は8ヶ月有効で、その後も継続して掲載する場合は参加の表明として再びアワーの提供を求めている。 なお、イサカアワーの事務局では『アワータウン』を「地域特性の生き写し(portrait of our community's capability)」であるとしている。

(注4-16)イサカ市は元来農業が盛んな地域であるため、地域の農産物が生協に集まっている。そして生協ではイサカアワーを使って買い物ができる。またイサカは湖や滝も多く、風光明媚な土地であるが、湖の汚染が深刻化した。湖水の臭いもきつく、人も余り公園に集まらず、鳥たちもいなくなったところを何とかしようというNPOも出てきた。こうした活動の支援もイサカアワーを寄付などの形で可能となっている。

(注4-17)これまでカナダではLETSの本拠地のため、LETSタイプの地域通貨が広がりを見せていたんが、市場経済とコミュニティーの両方の活性化を志向した新しい経済システムを構築するために取り組まれている。

(注4-18)藩札・私札を合わせると15,000程が発行されていたと言われており、複雑なレート計算が必要となったために出てきたのが両替商である。

(注4-19)1999年に政府が7000億円を投じた地域振興券の配布には一部で地域通貨であるとしている解釈もあるが市民の相互扶助システムとは言えない。地域振興券は政府によって強制的に配布され、使える人も地域も、そして使える内容にも制約があった。政府からから住民への贈り物ではあったが、原資は税金であり、複数回循環することはなく、地域振興券が使える先で1回だけ利用し回収されてしまう。かつ、結局は消費のために発行され、今まで国民通貨で消費するはずのものに使って終えてしまったケースが多い。したがって、地域通貨の種類の一つ、もしくは類型の中には入れなかった。

(注4-20)俗にシャドウワークはアンペイドワークとも言われ、いわゆる経済社会の中では不払い労働として評価をされない領域とされている。イリイチは『シャドウワーク』(1983)の中でヴァナキュラーな価値があるとし、土着の活動にはそもそもはお金を払ってお願いしないが、お互いが支え合い地域をつくることに貢献をしているとしている。そもそもは昔の隣組などで地域を支えていた状態は、地域に大家族ないし拡大家族が存在していたと言えるかもしれない。

(注4-21)金子他編『ボランタリー経済の誕生』による。なお、講のシステムは五常講のように銀行の原型として発展していったものの他に、保険制度に発展していった講もある。『ボランタリー経済の誕生』によると、「ヨーロッパから銀行と保険のシステムが伝わったとき、銀行を「無尽」と、保険を「頼母子」ととらえた」とある(pp.228)。

(注4-22)もともとボランティアの言葉の意味は自発的ということであったが、無償の愛や献身的な行為など、日本では形を変えてボランティアのイメージが普及している。詳しくは早瀬(1996)を参照。

(注4-23)加藤による『エコマネー』が発刊された後、真っ先に取り組みをの意思を表明したのが横須賀市であったという。







第5章 草津コミュニティ支援センターと地域通貨



5.1 草津コミュニティ支援センター設立の経緯と経過

 草津コミュニティ支援センター(以下センター)は、JR草津駅周辺部のマンション開発に伴い、土地建物が開発元から草津市に寄贈され、さらに財団法人草津市コミュニティ事業団(以下事業団)が無償貸与を受けた施設である。センターはJR草津駅の西側に位置し、鉄筋コンクリート造の2階建てで、延べ床面積は317m2である。入館・退館は利用者が電子錠を所有して行うため、24時間の利用も可能ではある。1階には和室・会議室の他、専用線を引いたインターネット体験コーナーとデジタルビデオによる映像編集機材、コピー・印刷・製本機材、まちづくり図書閲覧コーナー、喫茶及び談話コーナー、まちづくり図書閲覧コーナー、喫茶・談話コーナーがある。2階は50名強規模の利用が可能な多目的ホールとグランドピアノと出演者控室がある。その他プレゼンテーション機器を含めて、備品類は滋賀県淡海文化推進補助により購入された。運営経費は、光熱水費や電話回線費用および若干の諸経費が草津市から事業団に補助金して交付され、充当している。なお、入り口は電子錠であるため、電子錠を持つ者であれば事実上24時間いつでも利用は可能である。
 センターが開設された当初は、特定非営利活動促進法の制定が関係してNPOへの関心が高かった。そのため、草津コミュニティ支援センターを「NPOのためのNPO」と位置づけて、公設市民営型のNPOサポートセンターという性格を打ち出した。センターが市民活動の拠点として自由な活用と相互交流ができる場が創造できるようにと、施設を維持・管理することだけを目的とした管理人は配置せず、一般の公民館との区別を図った。それに変わり、共同事務局を運営主体とし、登録団体を募った。共同事務局の第1次募集には36の団体から申請があったが、センターの機能・役割および加盟団体の活動を説明するうちに約半数が加盟を辞退した。辞退の理由には、(1)自主管理に伴って団体に義務が発生すること、(2)使用にあたり団体の理念が問われること、(3)単純な貸館とは違うこと、(4)活動の公益性が問われるということ、(5)具体的な支援プログラム自体を共同で構築していかなければならないことなどがあったと考えられる。1998年度は結局24の団体が加盟した。
 センターでは支援プログラムを(1)コミュニケーション、(2)市民地域情報、(3)NPOセンターの機能を担うことによって創造するとし、同時に共同事務局参加団体は自らの意思で3つのうちどこかの部門に所属して活動していくこととした。共同事務局参加団体だけでなく、個人のボランティアやインターンの学生も関わり、独自の活動を展開した。それぞれの具体的な活動としては、コミュニケーション部門についてはサロンの運営、市民地域情報部門についてはインターネットやデジタルビデオ機器の活用、そしてNPOセンター部門についてはマネジメント能力強化のための学習会開催などであった。
 しかし、全ての登録団体がこれらの部門に参画するには限界があった。したがって、共同事務局会議にて1999年度にはセンターの管理運営方法について大幅に変更しなければならないと提起された。したがって、1998年12月にNPOセンター部門が共同事務局の参加団体に意向調査を実施し、その結果及びNPOセンター部門を中心とする協議をもとに、登録時には2つの選択肢を設けることとし、施設利用のみを目的とする「利用団体」と積極的にセンターを活用し運営にも協力する団体「運営団体」に分類した。また、市民の自発的・主的な個人を事務局員として公募し、事務局を設置することとした。また、管理・運営上の問題は各団体の積極的な参加が困難なだけではなかった。特に多かったのは、(1)常時センターが開いていて欲しいということと、(2)他の団体が何をしているか知りたいということであった。この2点は登録団体だけでなく、逐次利用料金を払い、ビジターとしてまれに使用する団体から多く寄せられた。
 実際は、開設以来利用者として関わってきた人々の自己組織化によって事務局が立ち上がり、事務局の設置に伴って前述の2点を打開する方法が考えられた。したがって、常時開設された状態が保たれることになったが、いわゆる公民館のような管理人が事務的な対応をするのではなく、家庭的な雰囲気を持った空間を目指した。そこでただ開設するだけではなく、月曜日から金曜日の朝10時から15時までサロンを開設することにした。サロンはポルトガル語で「広場」を意味する「プラッサ」と名付けられ、各団体がビデオシアターやオカリナコンサート・インターネット講座・障害者の自立支援のカフェなどを行うことによって、出会いと協働の場を作ることにした。1999年度は36の団体が登録し、25の団体が運営団体として参画した。
 利用料金については、1998年度おいては団体が年度始めに5000円を納入するのみで、逐次の使用料は徴収しなかったが、1999年度はセンター使用に対して、周辺施設の使用料金の相場及び各活動団体が負担可能な金額から算出した金額を設定して徴収することとした。ただし、使用料は清掃や企画等に参画によって使用料にかえることができる「センタークーポン」を導入した。特に施設管理的部分に対しての労力を提供に払われ、例えば掃除1人1時間で10クーポンが支給された場合、10クーポンが2階ホール半日分の使用料に相当するというクーポン券を配布することとした。
 なお、センターにおける事務局は、所有する草津市の計画や検討を経て出てきたものではなく、自主的・自発的に生まれたものである。特に1999年度は自主的・自発的に結成された事務局という側面を活かし、多様な事業を展開してきた。しかしながら、1999 年度は事務局と登録団体との関係構築がうまくいかず、事務局主導の運営がなされてしまった。公の施設は広く市民に開かれた形で運用していくべきであり、特定の市民によって独占された状態になってはならない。現在、2000年度の管理・運営方針を事務局において策定しているが、来年度は事務局と運営団体の密な連携により、さらなるセンターの活用を図る方針で具体策が検討されている。


5.2  地域通貨導入に至る経緯

 センターにおいて地域通貨は以下の8点を目標に導入された。
(1)センターが積極的に利用される
(2)センター運営を負担と思われないようにする
(3)センターを常時開設する
(4)事務局開設にあたり人材を確保する
(5)管理・運営に関わる人々に交通費等を支給する
(6)財源確保にあたり施設有料化する際に団体の活動を阻害させない
(7)センター運営に関わるグループや個人どうしの交流を生む
(8)センターで自主事業を展開する
 1999年度はセンターの常時開設と事務局設置を図ることとなったが、新たに運営資源の確保が問題となった。事務局員は個人の有志でセンターに関わるため他にやることもある。それらの人々を支えるためには金銭的な評価が伴うものである。通常は使用者から使用料金を徴収するが、センターを利用する団体には成熟過程にある団体が多いため団体も現金がない。逆に、本来であればセンターがそうした団体に現金を払うなどして支えることも考えなければならないが、事務局員その他にさえ現金を払うことができない。「なるべく団体側の金銭的な負担を少なくする形でセンターを使えるような方法を考えたい」という発想を具体化していく中で、利用者が何らかの方法でセンターに貢献し、それを「交換条件」として金銭的な負担を強いることなく使ってもらうことにしたのである。すなわち、労働のバーター取引の制度化として地域通貨のシステムを構築した。これらが上記目標の(1)〜(6)に充当される。個人ボランティア、市民活動団体がそれぞれの得意とすることを通じてセンターを活用でき、センター運営に関わることが個人ボランティア、市民活動団体にとって有益なものとし、かつセンターがより市民に開かれて使い勝手がよい気持ちのいい場にするための打開策である。最初期は地域通貨と言わず、「センタークーポン」と呼んだ。(注5-2)また、上記の目標のうち(7)と(8)については、サロンの開設だけでなく、日常的かつ積極的な団体間の交流の媒体となり、センター事務局主催による事業を展開する際の対価として支払うことを想定して導入された。
 なお、クーポンの発想は既に1998年4月に雑誌で紹介されていた高知での取り組み「タイムダラーネットワークジャパン」の取り組みから得ていた。そして、自らの通貨を自らの意思と意図で流通させていくという方法で、センターの管理・運営を効率化し、かつセンターを活性化できないかと1998年の10月の共同事務局会議で提起がなせれたが、クーポン運用のしくみに対して共同事務局の参加団体を得られなかった。しかしながら、1998年12月以降の議論で利用料金徴収の妥当性が認識される中で再びクーポン導入が提起された。そして、1999年3月にはインターネットにて、米国ニューヨーク州イサカ市での取り組み「イサカアワー」の取り組みを知り、同時にイサカアワーの事務局にて提供されているスターターキットを購入した。したがって、センターにて地域通貨を導入するにあたっては、イサカアワーの取り組みを大きく参考にしたことになる。草津にゆかりのある名前を、という考えから通貨の単位は「おうみ」と名付けた。
 加えて、今後は特定非営利活動促進法の導入によって法人格を持つ市民活動団体は増え、ただ法人格を持っていることが、公的資金や助成金、寄付などが流入する要因にはならないと考えた。したがって、地域通貨導入をセンターの実績とすることで市場の競争力を高めるという効果も想定した。


5.3 おうみシステム構築の概要

5.3.1 おうみシステムの概要
 以下におうみシステムの概要を示す。

(1)おうみの概説
 「おうみ」は国民通貨によっては評価しにくい個人の自発的な行為の労力に対して支払われる対価の媒体である。

(2)おうみの価値基準・発行単位
 1おうみ100円換算であるが、換金はできない。また、名目利子率は0である。

(3)発行主体
 「おうみ」は草津コミュニティ支援センター事務局が発行する。管理・運営についてはセンター内に設置されているおうみ事業部によって行われている。おうみ事業部は事業部長を含めて4名によって構成されている。ただし、今後は主体が変更されることも考えられる。

(4)発行形態
 1999年3月末から5月末までは帳簿によって決済をしていた。1999年6月より1おうみ・5おうみ・10おうみの3種類の紙幣を発行している。簡易印刷機で刷り、センター印と通し番号を記載している。なお、1999年9月からは電子上での管理を始め、そこでやりとりされる量を電子おうみと呼んでいる。

(5)発行根拠 
 1999年3月末から8月末までは施設使用料を中心とするセンターの現金収入を担保として発行していた。しかし、9月からは「おうみ」運用のための信託金を背景に発行している。信託金は施設使用料や事業収入をはじめ、おうみシステムへの入会金や寄付を積み立てたものである。

(6)開始時期 
 1999年9月1日である。ただし、1999年6月1日から8月31日までを実験期間とし、さらに試験期として1999年3月末から1999年5月末まで、1998年度のセンター登録団体と1999年度センター事務局員の中で導入実験を行った。

(7)対象者 

 「おうみ」の対象は以下の3主体である。
 (a)センター登録団体
 (b)センター事務局員
 (c)個人登録者

(8)システムへの加入方法とおうみの獲得方法 
 加入方法と獲得方法は主体によって異なる。なお脱退時は手持ちのおうみを返還することで、信託金の還付を求めることができる。ただし、不要となったおうみはできる限り事務局への寄付を求める。

 (a)センター登録団体 
 センターへの登録と同時におうみシステムへ加入することとなる。窓口業務や清掃等の管理業務に対する労務提供・事業開催等でおうみを獲得することができる。また、獲得したおうみは施設使用料他、センターに対する支払いに充当できる。いわゆるプリペイドカードのように電子上におうみを保有しておくことも可能である。

 (b)センター事務局員
 センター事務局員は個人ボランティアを含めて全員がおうみシステムに加入していることとしている。窓口業務や清掃等の管理業務の他にも会議出席や事業への関わりに応じておうみが支払われる。事務局員に限っては支払われた対価を信託金の取り崩しによって現金化できる。

 (c)個人登録者
 申請書を提出し、自身が提供するサービスもしくは提供して欲しいサービスを登録することによってシステムへ加入することになる。登録にあたっては1,000円が必要で、加入の際には説明資料と原資にあたるおうみが与えられる。足りない場合は交易所で入手する。

 (d)事業所・行政
 1口5,000円の協賛金が必要。ただし、積極的に募集・受け入れを行ってはいない。


(9)管理主体および内容 
 おうみ事業部が流通量の調整・登録サービスの受付・企画立案を行う。会計・監査はセンター事務局の事務局次長が担当。電子おうみの個人保有量及び使用の記録、おうみ事業部の会議議事録、個人登録者の登録内容を含め、運営に関する情報はインターネット上に公開されている。なお、紙幣おうみの管理は所有する個人に任せられている。事務局は定期的に交易所の機能を担う窓口を開設し、信託金との連動が担保された状態を保つことを前提にして、参加者が現金で「おうみ」を買い取る機会を提供する。なお交易所は事務局および登録者が提供する商品やサービスなどを「おうみ」で受けられる場でもある。

(10)流通量 
 2000年2月段階で、紙幣おうみが1,559おうみう、電子おうみが2,363おうみ、信託金が525,000円おうみである。おうみ発行量は信託金と連動しているため、残りの1,328おうみを電子おうみとして事務局が所有している。

(11)取り組み終了時の処理 
 事情により、おうみ事業をを中止し解散することになった場合、清算委員会を設置し対応する。価値基準通りの現金保証がされている訳ではなく、基本的には信託金の残額を保有量に応じて均等分配する。


5.3.2 段階的な導入の経過 
 センターにおける地域通貨は以下の段階を経て導入された。

(1)導入検討期(1998年10月〜1999年2月) 
 開設以来、団体登録料を除いてセンターの使用料金は無料であり、センターを共同管理・運営するために登録団体は全て「共同事務局」への参画が義務づけられていた。しかし、現実的には全ての団体が運営に携わることは困難であった。そこで、次年度の体制を議論する過程の中で、団体の登録方法の二分化と常時開設に伴う事務局員の公募という方向性が打ち出された。同時に、センターにおける利用料金制度の導入と事務局業務及び施設管理業務に対する対価を報償したいと考えた。 しかしながら、団体も使用料を払うだけの財政規模になく、センターも業務に対して対価を払う原資がなかった。そこで、団体が施設利用料として納入すると考えられる料金を担保として、独自の通貨を発行し、あらかじめ管理業務への労力提供の対価を支給するシステムを考えた。

(2)導入準備期(1999年3月〜1999年5月)
 事務局設置に伴って事務局準備会内にクーポン委員会を設置して、導入計画を練った。当面は従前に関係のある団体と新規に設置される事務局とのコミュニケーションを深めなければならず、その媒体とした。雑誌およびインターネットで知見を得ていたイサカアワーの取り組みを参考事例として深めた。対価の支給にあたって、電子上の決済によって行うか、紙幣を用いるか議論が分かれたが、最終的には紙幣を相互にやりとりすることで楽しさ・おもしろさが生まれ、結果としてコミュニケーションが促進されると考え、センター開設1周年記念イベントにて発表すべく、紙幣の準備を進めた。管理業務への対価の支払いについては4月から始まっており、5月末までは帳簿上に記録しておくこととした。なお5月下旬には相次いで新聞各紙がこの取り組みと構想・計画を取り上げ、各地・各所からの問い合わせが集中した。

(3)実験期(1999年6月〜1999年8月)
 5月29日にセンター設立1周年を記念して開催した「市民活動交流会」でクーポン紙幣「おうみ」を発表し3ヶ月間を実験期間として運用した。交流会当日は「クーポンバラエティ」と称して、英国のブリックストンLETSのサービス目録を参考に、参加者が提供できるサービスが何かを考えるというワークショップも開催し、使用が想定できる人々の理解を深めた。紙幣裏には取引の内容を記載する欄を4つ設け、次に使用する人が誰のどんなサービスを媒介して手元に来たのかが実感できるようにした。 団体に対しては50おうみを活動支援の名目で配布した。これは各団体が5,000円の現金を団体登録の際に納入したことを背景にしている。この段階では個人のサービスの登録は行っておらず、センター登録団体がセンター利用料を払うことを定着させることに力点が置かれ、これには大きな効果があった。 ただし、個人間のやりとりがなかったわけではない。特に対価として紙幣おうみを渡された事務局員を中心に、紙幣を持っている人どうしが遊び感覚で「じゃあ2おうみね」 というようなやりとりはあった。

(4)実践期(1999年9月〜2000年1月) 実験期においておうみがあることによって得られた成果を、(1)団体が施設使用料をおさめることへの理解と、(2)個人間のコミュニケーションを促進させる効果があると認識し、対センター・対事務局員を越えた、いわゆる「個人登録者」を受け入れられるシステムが構築された。その際最も大きい問題として認識したのは「おうみ長者」の問題である。特定の個人もしくは団体におうみが偏ると、流通が妨げられる。したがって、常に循環を保つ必要性を認識した。 事務局は、各個人および団体のおけるおうみシステムへの理解が低ければ、おうみを所有しても使おうと思わないと判断し、積極的な情報発信と情報提供、そしてどういう時におうみを使えるのかという実例を実感できるために、毎月一回、料理持ち寄りのパーティーを開催され、場の設定がされた。ただし、このパーティーにはただパーティーに参加したい人も集まり、おうみが積極的にやりとりされる場にはならなかった。しかしながら、パーティーにはセンターに縁がある人が集まり、それまで密なコミュニケーションを取っていなかった人が集まることで、その後のおうみのやりとりが促進されたと考えることはできる。 実験期から実践期への変更点は大きく2つある。1つは対団体・対事務局員に対しては電子おうみを積極的に用い、個人登録者に対しては紙幣おうみを積極的に用いるということである。対センターのみで使用している場合は電子上の決済だけで終始するが、個人とのやりとりをする場合は紙幣によって補完をしなければならないと判断したためである。 そして、もう1つは施設利用料金を背景に発行していたおうみを、信託金を背景にした発行に切り替えたことである。これによって、施設を利用しない個人が出資して参加する論理が通ることになった。 なお、おうみでやり取りできるサービス目録を「おうみの達人リスト」と名付け、ニュースレター「おうみタウン」の中に埋め込む形で発行した。そして、おうみシステムを外部に拡大していくための戦略として「おうみ研究会」が設置された。

(5)運用期(2000年2月〜)
 そして現在、センター外への拡がりについて模索をしている。当初モデルとしたイサカ市では、日常生活の大半をイサカアワーによって生活ができなくはない状況にあった。単純にその状態を模索するのではなく、地域に存在する課題は何かを確実に捉えていくことによって、使用者が地域通貨を使う意味・意義が生まれると考え、定期的な利用者相互の交流をし、そしてその中から出てくる課題に対して信託金の運用による課題解決のための支援が可能ではないかという状態である。

(注5-1)
 地方自治法第244条の2(公の施設の設置、管理および廃止)の第4項で「普通地方公共団体は、適当と認めるときは、管理受託者に当該公の施設の利用に係る料金を当該管理受託者の収入として収受させることができる」とし、利用料金制度の規定をしている。さらに第5項で、「前項の場合における利用料金は、公益上必要があると認める場合を除くほか、条例の定めるところにより、管理受託者が定めるものとする。この場合において、管理受託者は、あらかじめ当該利用料金について当該普通公共団体の承認を受けなければならない」としている。これは平成3年に公の施設の管理運営にあたって、管理受託者の自立的な経営努力を発揮しやすくするという理由などから創設された規定である。この制度を適用させることで使用料金を管理者の収入に充て、市民による合理的・効率的運営を図った。

(注5-2)
 1999年4月に作成した当初のクーポンマニュアルには、「センターの運営はボランティアでやるのがいいけれど、誰かに負担が集中するのではなく、みんなが気持ちよく運営に関われるような合理的なしくみ、制度」と記している。








第6章 「おうみ」システムの効果


6.1 センターにおけるおうみシステム導入の効果

6.1.1 利用率の増加 
 1998年5月の開設以来のセンター利用率を、利用日数と利用団体から算出すると表ようになる。
 1998年度は時間を経過する毎に利用率は上がっているものの、図に示したように利用数は少なった。しかし、1999年度は1998年度に比べて大幅に利用率が向上している。この要因におうみが効果的に機能したと考えられる。 もちろん、利用率の向上は「おうみ」のみが要因ではない。その他の要因としては、登録団体として関わる際の関わり方の選択肢が生まれたことが考えられる。1998年度には利用したい団体は全て共同事務局に参画し、かつ3部門のどこかに所属して積極的な議論に参加しなければならなかった。1999年度は登録団体としてセンターに関わる際に、団体自身が「運営団体」と「利用団体」を選択することができるようになったことで、各団体の中で時間的な制約や動機の面などから、センター利用にあたって積極的な関与を求められるゆえに利用を躊躇していた団体が利用をし始めたたと考えられる。 実際、団体からのアンケート及びヒアリングを行ったところ、利用にあたって現金のみで支払っている団体は全体の4分の1にとどまり、他の団体は使用料の一部または全てをおうみによって支払っている。また、「おうみ」を利用料に充てられること良いと感じている団体は多い。ただし、おうみでは団体内で均等に料金を拠出することが困難であること意見や、おうみだけで支払われてはセンターの現金収入が減るため困るのではないか、という指摘、また制度としてわかりづらいという感想もあった。なお、料金体系については、大半は満足しており、満足していないという団体はない。

6.1.2 事務局の組織化
 1999年1月末の時点で、センター使用料にあてられたおうみは777おうみであり、約8万円相当である。また、41万円相当である4124おうみが人件費として支払われた。 なお、この推移の中で言えるのは、徐々に管理業務による支払ではなく、事務局長手当やサロン事業部長手当など、多数の個人への支払ではなく、特定の役職者への手当として支払が始まったということである。
 ここから言えるのは、徐々に事務局体制が確立してきたということである。加えて、信託金から現金への振り替え額を見ても明らかなように、事実上はそうした手当の大半が現金によって支払われることになっている。 1年間の事務局の稼働により、センターの利用体制が整い、かつ事務局を中心として民間非営利活動支援活動がセンターを中心に取り組まれる基盤が整備されてきたと言える。なお、事務局は個人の有志によって構成されていたが、事務局内事業として立ち上げたプロジェクトが団体へと発展していったものもある。詳細は次項で述べる。 


6.2 センター使用団体におけるおうみ利用の効果

6.2.1 交流の促進と新たな活動の展開 
 1998年度に対して1999年度はセンター利用にあたって、団体登録方法を改善したこと、そして積極的な使用ができる環境を提供するために事務局を設置したこと、かつ地域通貨「おうみ」を導入したこと等が複合的な要因となって、登録団体は増加した。 登録にあたっては特定非営利活動促進法における12分野に該当することが要件となっているが、登録団体の内訳を見ると、文化芸術・青少年の健全育成・男女共同参画の3分野に集中している。この背景には、草津は京阪神の通勤圏であり、その結果として新興住宅地が多いことが考えられる。団体から行ったヒアリングも15団体中12 が女性を中心とした団体であり、実際の活動にあたっても子ども連れの活動が多い。なお、ヒアリングでは、ベビーシッター不足の声も上がった。 新興住宅地などでは地域住民の交流の場がないということが指摘されているが、団体活動においても相互の交流はあまりなされていなかった。センターを使用している団体は、団体交流を求めているところが多い。アンケートでは、他分野との交流を求めているところが多いが、同分野の他団体との交流を求めている団体もある。単純に活動拠点を求め、また安価な施設利用を求めているところも多い。 1998年度は共同事務局が立ち上がっていた者の相互に交流は少なかったが、交流会の開催やおうみのやりとりによって交流が深まった。そして、男女共同参画の分野の団体間の交流の中で新たに「英語で女性問題を深める団体」と、事務局員として参加する人々の中から「フェアトレードの勉強会と共同購入をする団体」が結成された。また、団体どうしのネットワークも構築され、子育てに関心がある個人もしくは取り組みをしているグループのネットワークも生まれた。ここでも「子育てサポート」などにおうみのやりとりされた。現在、高齢者や環境を対象とするネットワークの構築も構想されている。

6.2.2 相対的に安価で使いやすい施設利用 
 「おうみ」があることによって新しく活動が発生したが、活動は発生しなくとも、積極的にセンターが利用されるようになったのは大きな効果であると考えられる。一般の公の施設は利用に際して事務的な処理がなされて単なる利用に終わるが、「おうみ」や事務局が介在することで、親近感が高まっていると言える。よって、団体にととえは「おうみ」が存在することで、利用料が割り引かれ、かつ他の施設よりも積極的に使おうと感じさせる効果があると言える。ただし、ヒアリングでは「会計処理が困難」等の理由から、現金での決済を望む意見もあった。


6.3 個人登録者及び地域への効果 
 
現在、「おうみ」によって個人登録者及び地域に対して積極的な効果あるとは言えない。しかし、着実にサービス数が増えていることは、「おうみ」に対して一定の興味関心が存在していることをあらわし、地域内財やサービスを循環することの価値を認められていることが言える。これは地域に対して大きな効果であると考えられる。現在10名の個人登録者がおり、今後もますます増えていくと考えられる。ここには多様なメディアによる報道を経て、地域内におけるセンターおよび「おうみ」の認知が高まっていったことが深く関連している。 現在センターの玄関にて、ある農園が地元野菜の無人販売を始めており、これによって、活動のためにセンターを利用しない人もセンターに関わる接点が生まれている。今後、販売を続けていく中で、購入者たちが「おうみ」に関わることが予想できる。イサカ市においても地域と結びつくということが「農」や「環境」に結びついており、こうした地元野菜に対する「おうみ」払いを、商品への対価として払う際の萌芽的な取り組みとして始めることが検討されている。







第7章 まとめ


7.1 結論 

本研究から以下のことが言える。(1)市民活動拠点施設の市民による管理・運営に地域通貨を導入することは有効であった 歴史的に見ても、世界的に見ても地域通貨発行には(1)不況時の失業対策・(2)シャドウワークの顕在化・(3)特定のコミュニティ創造と維持の3つの要因があると考える。地域通貨発行において市民活動拠点施設し、個人・団体を対象として運用できているのは日本では草津市の事例だけである。今回草津市においては、(1)不況時の失業対策の範疇として、現金換算ではわずかな量にあたるが、掃除や会議出席等の管理・運営業務やその他個人のニーズに基づいたサービスの対価として「おうみ」を流通させることで、センター及び地域を中心に新しい雇用を発生させたと言える。また、(2)シャドウワークの顕在化という側面では、通常であればボランティアということで無償化されていた労務を現金ではない新しい価値基準によって顕在化させた。特に、センターおよびおうみを使う人々には女性の比率が高いことと、センターには通所授産施設の人々がサロン運営に携わっていることを鑑みると、それら人々の出会いの場となったセンターにおいて発行した地域通貨が社会的弱者の役割を再評価し、かつ労働を顕在化する役割を担ったと言える。そして、(3)特定のコミュニティ創造と維持という観点では、センター使用団体や事務局員、そしておうみを利用する人々の親密な関係が生まれ、また維持された。これに関しては後に詳細に述べる。 したがって、市民活動拠点施設の市民による管理・運営に地域通貨を導入することは有効であったと言える。(2)地域通貨の導入に際して導入準備期・実験期・実践期の3段階による導入が有効であった 地域通貨はあくまで手段であって目的ではない。第5章に示したように、今回はセンターの活用に際して導入が求められたため、その問題解決のために段階的に導入された。これが使用者の理解を徐々に深める要因となり成功したと考えられる。 実際は導入準備期の前に1ヶ月間の導入検討期が存在したが、導入準備期においては、従前の利用者に対する現金負担の軽減と相互のコミュニケーション増大という目標があった。また、実験期においてはセンターに関連する個人をも含めたコミュニケーションの誘発とそれによる新規事業展開の動機づけという目標があった。そして、実践期においてはセンター外の人々に対して徐々にセンターの認知度を高めていくと同時に、センター内においては事務負担が少なく、かつより簡素化したシステムによる運営を目指して電子上の通貨を導入するという目標があった。
 したがって、地域通貨という新しい道具であり手段を、足下を固めながら導入していったことが有効であったと考える。(3)地域通貨の導入によって実践期には地域内に新たなコミュニティが創出する 地域通貨を使う人は何らかの関心を共有している。とりわけ市民活動に従事している人々は、社会に対して何らかの問題意識を持っており、これまでは地域内で出会っていない人々がセンターもしくはおうみを使用することによってつながりを持っていった。センター内の交流が促進されるなど、(1)センターに関わる人たちのコミュニティ、また団体間のネットワークが構築されるなど(2) センター外でおうみを使う人たちのコミュニティ、そして個人登録者の増加など(3)地域に根ざした生活をする人たちのコミュニティが3つのコミュニティが創出した。

7.2 今後の課題 

 今後、「おうみ」をより地域に根ざした通貨として運用して行くにあたって次のような課題がある。

(1)税法上の課題
 今後、地域通貨が一般商品および一般商店において国民通貨と併用された場合、税金の処理をどうするかが大きな課題となる。例えば、仮に1000円のものに対して、800円と2おうみで買い物をしたとしたら、各商店の売り上げを1000円とするのか、800円とするのか、という問題である。商店街活性化のためにも使用している千葉まちづくりサポートセンターの取り組みでは、当初消費税相当分を地域通貨で払っていた。しかしながら、「税金費用を負担するだけではなく、経済政策執行の有効な手段の一つである」という考えから、この考え方をやめた。果たしてどのように対応していくのがよいのか、真剣に検討しなければならない。イサカ市の取り組みでは、通常通りの金額を計上し、つまり全額を課税対象の売り上げとして計上し、その代わりとしてイサカアワーが使える限度額を各商店が設定している。これは、各商店がイサカアワーによって支払われた分を、商店主を含んだ従業員が再配分して使用可能な範囲で設定されていると考えられる。なお、各主体が限度額を見極めることは極めて重要である。余剰の地域通貨が第三者との間で国民通貨と兌換されてしまえば、単なる国民通貨の兌換券に終わるためである。 また、地域通貨の発行は国民通貨の偽造にはあたらないが、地域通貨が国民通貨を使用して決済する財・サービスと併用して使うことになれば、有価証券としての制約を受けることが予想される。現在は基本的には登録者の間で「おうみ」を使用することとし、目的や用途を限定しているが、「おうみ」がセンター内を越えて地域内に流通していった際には不特定多数の人々が使用する機会を提供することとなる。そうした汎用性が出てきた場合は地域通貨が商店街および各商店が私的に発行するクーポン券や割引券の範疇とは完全に異なったものとなる。 このように税金処理と有価証券としての制約は、社会的公正を一側面として担う地域通貨において懸案すべき課題である。

(2)地域通貨の発行基準と日常的な管理の課題
 現在「おうみ」は紙幣おうみも電子おうみも信託金をもとに運用されている。したがって、三つ巴の関係性が生じている。その際、紙幣おうみと電子おうみ双方に固有の問題が発生する。電子おうみについてはパソコン上の操作で容易に発行が可能となるため、信託金の範囲を超えた発行をしないように管理をしておく必要がある。そして、紙幣おうみについては、いったん誰かの手に渡ってしまえばその紙幣おうみが逐次どこにあるのかを把握することは困難である。仮にその紙幣おうみが地域外に出てしまい、二度と使われることがなくなってしまえば、信託金との連動を解消し、精算をしなければならなくなる。 実際、イサカ市では、観光客や視察に来た人々が記念に紙幣を持ち帰ってしまうことが多く、安価なおみやげになってしまっている。イサカの場合は加えて、紙幣作成にあたって環境負荷が低い紙やインクを用いながら偽造対策をしているため、地域外に流出してしまう紙幣を増刷するのに多大な費用がかかることもあり、現在深刻な問題になっている。 このように、地域通貨の発行が国民通貨と連動している場合、その発行基準と日常管理の方法については慎重に行わなければならない課題である。

(3)絶えず循環を確保するという課題
 地域通貨は信用創造をしない。したがって、貯蓄することに意味をなさないが、逆に言えば、循環をしないということは相対的に価値が減るということである。本研究では地域通貨の定義を「信用と信頼によって担保された、自助を促進する媒体」とした。したがって、信用と信頼が担保されたものを一定の人および場所で停留させてしまえば、自助は促進されない。循環していない場合にはその理由が何に起因しているのかを明らかにし、地域通貨を使用に対して動機づけを行わなければならない。 よって、発行主体であるセンターは、使われる場とサービスを確保し、かつその情報が使用者に行き届くことを保証しなければならない。と同時に、使用者がより才気に満ちた使用ができるような教育力を発揮しなければならないと考える。 このように、地域通貨は信用と信頼を担保にしているがゆえに、その信用と信頼を失わない形で循環させ、また地域通貨におかれている信用と信頼を支えているものが何かということを使用者の中で共有させておくことは発行主体に求められる課題である。

(4)地域通貨の循環のために地域資源の活用するという課題
 今後地域通貨が積極的に循環していくためには、大学及び生協の活用が必要であると考える。ヨーロッパおける環境首都の展開や米国におけるのベンチャー企業の成長などが示すように、地域における大学の存在は大きい。 大学の知的資源を地域に還元させていくことが、相対的に地域を構成する人々の年齢を若くしていくことで社会的文化的に豊かな地域を創造することができる。
 また、信託金を背景に運用されている現在の「おうみ」はそのシステム自体が生協的なものである。イサカ市では、地域でとれた農産物でかつ減農薬・無農薬なものを販売する生協が流通の拠点となっている。ちょうど、センターでフェアトレードの共同購入や玄関前の野菜無人市場の取り組みが始まっているが、これを日常化・定常化させることで、地域通貨が積極的に使える状態が担保されると考える。今後は立命館大学生協と連携して何らかの取り組みを行うことも検討すべき課題として挙げられる。例えば、公的介護保険制度のような公的な制度ではなく、私的で自発的な介護が展開されていくと考えられる。この参加の推進のために、信託金を運用し、地域通貨を用いた奨学金の制度を構築することも不可能ではない。






謝辞

 学位論文の作成にあたって、立命館大学理工学部景観計画研究室の学部生・院生の皆さんの支援があって、はじめて完成しました。大学の研究室で作業をするのはまれでしたが、皆さんの支援があってこそまとめあげることができたと感じております。特に指導教員であった笹谷康之先生には、多大なるご迷惑をおかけしたことを自覚しております。お詫びに代えてお礼をさせてください。
 その他、本研究の遂行、および論文作成にあたっては多くの方々のご協力をいただきました。まずは、そもそものこの研究の場を提供していただいた、草津市コミュニティ事業団の山本正雄さんに感謝すべきかもしれません。山本さんには学部生時代から、草津に住まずして草津のまちづくりに関わる私に幾度となく活動と実験と研究の場を与えていただきました。特に今回の研究にあたっては、山本さんによる一連の電子おうみの決済システムの構築がなければここまで深めることはできませんでした。どうもありがとうございました。
 そして、その「おうみ」を検討・実験・実践・管理・運用を行う現場となった草津コミュニティ支援センターの皆さんにもお世話になりました。事務局長の金澤恵美さん、事務局次長の堤幸一さんをはじめ、若輩者の私を事務局次長として受け入れていただき、時に思いつきで稚拙で、加えて横柄な意見や態度を正面から受けれていただき、数々の作業を任せていただいたことには大変感謝をしています。本来ならば、ここで皆さんのお名前をご紹介すべきですが、会う機会が多いこともあり、割愛させていただきます。
 また、1998年から1999年にかけて尋常ではない盛り上がりを見せた地域通貨について、少ない日本語文献の中、インターネット等あらゆる手段を使いながら地域通貨について体系的にまとめた同志社大学大学院経済学研究科博士前期課程の泉留維さんには1999年12月に完成したての論文の草稿をいただきました。これが本論文の第4章を書き上げるにあたって大変参考になりました。どうもありがとうございました。なお、静岡県エコマネー研究会には論文執筆が大詰めにさしかかった2000年1月末に「地域通貨の歴史と種類」という題目で講演の機会をいただきました。これが地域通貨に関して論理的にかつ体系的に整理をする機会となり、煮詰まった第4章をまとめ直すことができました。拙悪な講演のテープ起こし原稿も早々にいただきました。どうもありが
とうございました。
 加えて、NPOに関して多くの資料を提供していただいたきょうとNPOセンター事務局長の深尾昌峰さん、また副運営委員長の中村正先生には、1999年11月の「きょうとNPOフォーラム」にて、1日限りの限定通貨「おおじ」を実験する機会を与えていただきました。これがその後のおうみの日常的なやりとりに関して大変有用なデータを拾いあげることができました。地域通貨に関してはイサカアワー創始者のポール・グローバーさん、そしてアワータウンの編集責任者マーガレット・マッカスランドさん、大阪のボランティア労力銀行本部、また富山エコマネー研究会からも資料とアイデアと取り組みの成果と課題を共有することができました。ありがとうございます。
 最後になりますが、本来は一番最初に紹介をすべきかもしれませんが、阪神淡路大震災の前から、延々とこうした「オルタナティブ」な動きを共にしてきた内山博史さんには言葉では表現しきれない感謝の念を持っています。これからもよろしくお願いします。最後の最後に、不摂生な私の健康を気遣ってくれた杉山暁子さんを紹介し、謝辞とさせていただきます。

西日がまぶしい「かがやき通り」から立命館大学へ向かうバスの中で

2000年2月15日

立命館大学大学院理工学研究科博士前期課程
景観計画研究室所属

山口洋典
 
 
 



<参考文献>

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 栗山町:http://town.kuriyama.hokkaido.jp/ecomoney/
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 日本ケアシステム協会:http://mb.kagawa-net.or.jp/care/care1.html
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 農のあるライフスタイル&まちづくり:http://www.netlaputa.ne.jp/~akahoshi/
 「地域貨幣が人間関係を変える」:http://www.tradition-net.co.jp/door/index.htm
 「コミュニティソリューション:http://www.mahoroba.ne.jp/~felix/Notes/ComSol/intro.html

<ビデオ>
 NHK名古屋『未来派宣言』(NHK,1999.11)
 グループ現代・NHKエンタープライズ『エンデの遺言』(NHK-BS,1999.5)




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